2018-01-01から1年間の記事一覧

吉田三傑「村井保固傳」を読む 11

商売人志願明治11年秋、卒業に間もないころ、村井は『町人七分乞食』という題で演説した。 要するに、世人は士農工商で町人を最下級に於いているが、西洋では政治法律など社会の中心は商業である。今の商人は無知文盲で眼前の小利益ばかり考えている、吾々新…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 10

福澤先生に難問提出 一日村井は思案に余ったか、福澤先生の前に出て思い切って奇問を試みる。『先生私は意志薄弱で自分ながら持て余しております。もう断然遊びに行くまいと思つて居っても、日が經つと又行きたくなります。悪いと知りつつその悪事が止められ…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 9

東京遊学既に東京遊学のお許しが出た。立つ鳥跡を濁さずとか、先づ松山に帰って名誉を回復すべく英学校に引きかし規定の課目を卒へて先輩や友人から送別会さえ開かれ、愈々東上の途に就くこととなつた。 去るに臨んで村井は県令岩村高俊を訪ひ、東京遊學のこ…

暑い暑い

田舎はかつてない豪雨に見舞われた 遠く離れた此の地では早急な復旧を 祈るしか手がない 関東の早い梅雨明け、連日続いた強風に只ならぬ気配を感じた *** 3連休は忙しかった 書道展を見に乃木坂に行き高校同窓会の打ち合わせで新橋 被災地にエールを送ろ…

吉田町に甚大な被害

この度の災害で亡くなられた方々にお悔やみ申し上げます。 被災された方々にはお見舞い申し上げます。 早急に復旧・復興されんことをお祈り申し上げます。7月9日、気象庁は今回の豪雨名称を「平成30年7月豪雨」と発表した。 吉田三傑の郷土、宇和島市吉田…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 8

道後へ脱線 適々草間校長は新聞の寄稿が祟って禁獄處分に附せられ、校長代理として三輪肅齋と云ふ青年が來た。村井には助教として月手当10円を支給される。国許から送つて來る学資と合わせて懐中は温くなり、心に弛みを生じたところへ独身の三輪校長と意気投…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 7

英語勉強に英学校入学 不棄英学校には東京の慶応義塾出身である中上川彦次觔が、75円の月給を取り新知誠の先生として同々と威容を張つて居る。若い中上川は覇気に富み颯爽たる風貌からしてそぞろに年少子弟の大志を唆るものがある。 『自分は何時までも地方…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 6

村井家へ養子 その頃、三治は同藩の村井林太夫の未亡人光女の所へ養子にと相談があつた。先方は相当家計の餘裕もあり三治に学問勉強をせることも出來ると云ふ。 それならと本人も異存がない。未亡人の姪との縁談話には条件を付けないということで、養子縁組…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 5

大信寺の飯炊き 憐れ三治は16歳の春、立間尻の大信寺に飯炊き男として住み込むことになった。 和尚の深譽上人は近郷に聞こえた名僧であり奇僧である。 雨が降った後に、小僧覚運や三治と庭や畑の草を採る際、被った笠に「つんぼ」と大書して道を通る檀家の人…

文月の夕景

毎日、暑い、風が止まない 今日も寝れないのはサッカー熱気 露西亜も熱いらしい 花の丘公園は夕方散歩が涼しくていいのだあ 2時間は歩いた、帰って風呂とビールだあ 久々のMovieだあ一句 向日葵と山羊の農カフェ夏模様

吉田三傑「村井保固傳」を読む 4

熊崎家へ奉公 三治は12歳まで玉田の許で勉強に励んだが、家計の苦しいのは分かっている。そこで父母の荷を軽くするため奉公の道を考え、菩提寺の海蔵寺の和尚に奉公口を頼んだ。 和尚の口添えで藩の家老熊崎家に住み込みで奉公するようになったのが13歳の2月…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 3

生 立幕末から明治にかけて一世の先覚者と云はれた福澤諭吉先生の書簡がある。 丙申元旦 日出之東日沒西 春風萬里五雲齊 帝京朝賀人己散 臺北南鶏未啼日本も中々廣く相成候 英皇の領土には日沒なしと云ふ 日本は尚未し也 明治二十九年一月十一日 諭 吉 村 井…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 2

(序) 村井保固翁は実に日米貿易の開拓者であって、我が国富増進の礎石をつくられた一大恩人であるといっても、敢て過言ではないであらう。翁は、犬養毅・尾崎行雄氏等と慶應義塾同期の卒業生である。當時の学生は、多く政治家を志し、他日の大臣宰相を夢み…

梅雨明けみたい

梅雨明けしたみたいと報道あり 負けてもフェアープレーで決勝戦に行くみたい 十余一池に鴨の親子がいるみたい 7月猛暑で8月秋風が吹く?季節が早くなっているみたい G軍がまた負けたみたい しかし風がやまないのは何故だあ、台風みたい一句 風吹きて梅雨飛ば…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 1

一昨年の秋、吉田高校の先輩・故池部春彦氏から電話があり「今、村井保固伝を読んでいる」という気になる話だったが、これが最後の会話になった。 先般発行した「吉田三傑2017」第3部に村井保固伝を掲載したが、内容に乏しかったので何時かは本書「村井保固…

笹百合 6月28日誕生日の花

朝のラジオで今日の花は笹百合とか 淡いピンク色の花で、ネーミングは葉が笹の形をしているとか 確か我がマンションにも毎年咲いていると思い花壇にゆくと 昨日からの強風で花弁が数片散っていた 今日も風強く、ベランダのアサガオも蔓が折れている Gゴルフ…

真夏日となりぬ

土曜日はGG大会、陽が照らず良かったが 今日は真夏日となった、 GG練習に20名集合 元気なものだあ 我がマンションの紫陽花は今が見ごろ ベランダのブルーベリーにひえ鳥か? 熟した実を狙って来襲あり CDが鳥よけになると5枚ぶら下げるが効果なし一句 …

国立市へゆく

中学時代の同級生が油絵展を開くというので国立市へ武蔵野線でゆく 先ず、関東三天神の谷保神社に詣でる、軍鶏が迎えるがコケコッコーと人懐っこい 湧き水の池が透明でスッキリ、亀やコイの天国か、紫陽花も咲いている 飛梅、筆塚などがありこの神社は道真公…

入梅前に陽を浴びる

十余一公園でストレッチ、浦幡まで歩く、鶯がいつもの様に鳴いている 竹林のアジサイが綺麗、ドクダミ、クチナシも咲いているぞよ いつものコンビニでシガレットを買いI珈琲で一服 十余一に戻り、HO会テニスを見る、平均年齢80弱よく動く事 ダブルスで…

水彩画モードにハマる

二日酔い、でも歩く いい天気のデジカメ日和 ニュータウンの街を撮る水彩画にハマった エラブユリを撮りまくる HO会のおばあちゃんがベランダへ手を振る 何時も観察して通るそうだ… 水無月に入って紫陽花も咲き始めた 梅雨入りはいつだあ 三句 十余一の老…

えらぶゆり咲く 梅雨入りまじか

予想通り入梅の花、エラブユリが咲いた 朝は微妙も夕方はハッキリ咲いた 九州は梅雨入りだあ、 熊本のスイカが届いた 1本の苗で1個のスイカを育てるというもの 梅雨前の出荷で実が詰まっているとか一句 満月の露にぬれつつエラブユリ

シルバー活動の日々

HO会定例会は落語 初めての真打登場、元会長の後輩とか、 約1時間、「子ほめ」など2題を演じた 今日は市の社会福祉活動に参加 GGのアシスタント 障害者と健常者がスポーツ等通して交流する 今年で3年目一句 薫風にパン食い競争皆笑い

明治、宇和島スプリッツ!

帰省の5月8日は従兄弟の車で一乗寺にゆき、宇和島駅まで送ってもらった。 宇和島港の坂下津埠頭にはクルーズ船が入港していた。 フランス人など外国の富裕層が日本各地のローカルポートをめぐるそうである。 定番の観光地では飽き足りない客を相手に商売をし…

小林朝治と畦地梅太郎

連休に田舎で中学の同級会があった。古希の記念に旧交を温めた。 翌日、三間町の「道の駅みま」にある「畦地梅太郎記念美術館」を訪ねた。 梅太郎は小林朝治の版画に影響を与えた人である。 朝治は1927年(昭和2年)吉田病院の眼科医長となった。 医者になっ…

小林朝治画伯と坂村眞民先生 2

眞民先生もう一つの詩は、朝治の人間性について詠っている 朝治の子供らが「何で目のお医者さんになったの?」と聞くと 急患がないからだ、と真面目に語ったという (小林朝治)わたしが見たのは 吉田風物詞帖 吉田風物画帖 信濃玩具版画集 小林朝治版画集 …

好天水彩モード撮る

薫風の季節もやや寒し、デジカメ水彩画で撮る 午後はTV観戦もG軍打たれっぱなし、TTGに3発とはひどい 興味は相撲に… 宇和島紋甲イカ&Jてんぷらで一杯やっか一句 やけ酒やイカゲソジャコ天腹を据う

小林朝治画伯と坂村眞民先生 1

先月、坂村真民記念館の西澤孝一館長にメールした 上野にある東京都美術館の書展で眞民先生の詩があり、多くの書道家が先生の詩を取上げているということ、 また母校吉田高等学校の創立100年記念に先生の詩碑が建てられて、教え子としては嬉しい限りですと伝…

えらぶゆり 咲きそう

えらぶゆりの成長が今年は早い 桜も10日ほど早かったが、3月頃の気温が高かったせいか? 此れでいくと28、29日頃咲くであろう 昨年11月天皇陛下、妃殿下は沖永良部島を訪問した 6年前、手術で訪島が取りやめになり、島民はえらぶゆりの 切り花を30本送った、…

霧の宇和島

8日、朝からあいにくの雨だった 従兄弟の車で墓参りにゆく、今年は親父の33回忌と和尚さんがいう 宇和島港坂下津に豪華客船が入るというので行ってみた 入港して居なかったら伊達博の方へとタクシー運転手に言ったら 近くに行かないと分らんという、おかしい…

松山同級会 5/6

LCC6:20成田発、松山8:00着 さすがに早朝の便は若者ばかり、爺さんはいない 早く着いたので、国重要文化財「萬翠荘」にゆく、ちょっと先輩のガイドさんが付きっ切りで案内してくれた、坂の下からのアングルで建物を撮ると素晴らしいと言われる、 …