アイクと呼ばれた男 (27)吉田町へ帰省(28)海運集約

 浜田は昭和35年、雑誌『四国』4月号に〝望郷”と題して寄稿した。

…ここ玉津は法花津湾と呼ばれる湾の懐深く抱かれた村で、はるか南西は、豊予海峡の波頭を眺めて天涯に接し、又その背後には600m余りの高森山がそびえ、数々の連山、山稜によって囲まれている。昭和18、9年頃、八幡浜宇和島間の鉄道が開通したが、中腹にある国道のすぐ下方にレールが施設されたのでトンネルが多く、汽車の後部が未だトンネル内にあるのに、前部の機関車はすでに次のトンネルに頭を突っ込んでいる。この村も南予の海岸線に洩れず、天然の厳しい環境の中で生活を送っていた。「自然の持つ厳しい制約が、あの不退転の南予の魂なのかも知れない」と記している。

浜田は「四国」、関東愛媛県人会発行の「関東愛媛」などに数多く寄稿している

ぶるっくりん丸(ニューヨーク定期船) 昭和35年7月竣工、三菱長崎、12,392重量トン