2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧

戦国武将・土居清良という男 8

清良起つ 一条が清良に帰城を許したことは虎を野に放つが如きであった。 西園寺の恩は重い、しかし西園寺やその旗下の諸城主は大友に属してなすすべがない。土佐は長宗我部元親がやがて一条を滅ぼさん。今のうちに人質の松女を取り返さなければならない。 永…

戦国武将・土居清良という男 7

大森帰城 清良は今、石城山頂に佇んでいる。「松風に秋をば告ぐる声ありてその憂きことは問へど答えず」静かに彼の口ずさむのが漏れ聞こえた。傍らの鉄首座、六郎兵衛の眼が濡れて夕闇の中に光っている。石城陥落から2カ年、あの炎天を焦がした状も、剣戟雄…

幻の空母「信濃」と工業塩基地・三ツ子島

NHKドキメンタリーで幻の巨大空母“信濃”~乗組員が語る 大和型“不沈艦”の悲劇~という番組があった。 何気なく見ていると最後の章で三ツ子島が出て来た。テレビに島の航空写真が現れ「これは塩の基地、三ツ子島じゃないか?」と驚いた。 6万7千トンの世界…

戦国武将・土居清良という男 6

作家・司馬遼太郎の「街道をゆく」14~南伊予・西土佐の道に~は、吉田、宇和島を経て土佐中村に至る紀行文がある。 つまり宇和島から松丸街道を通り土佐中村までゆくのだが、坂本竜馬が若い頃この道を辿って宇和島城下に来たことがある。下級藩士の土居通夫…

戦国武将・土居清良という男 5

石城陥落(3) 大加美夫人は土居一族再起の為、孫・清良を土佐幡多郡に落とすことを決めた。伴の有力武将4名に対し、幡多土居近江守を頼り、小姓衆を導いて清良を援けと諭し、人質の料として清貞の娘お松を託した。 本書には、 清良「今度一門を捨てて逃げ、…

ニューヨークでゴルフ

BSNHKより引用 PGAプレーオフをテレビ観戦、松山英樹を見ようと5時に起きた。何と舞台はニューヨーク、テレビに自由の女神が映りマンハッタンに向けてショットしているシーンだった。 リバティナショナルゴルフコースはハドソン川、イーストリバーが合流する…

戦国武将・土居清良という男 4

石城陥落(2) 清晴討たれ石城は桐の一葉先ず落つるの感があった、西園寺実充は密かに石城援軍の150余騎を呼び返さんとした。これを知った早雲は厚くもてなし黒瀬に送り返した。 土居家の居城大森城を死守していた土居備中守清貞は、石城の急を聞いて(我等…

戦国武将・土居清良という男 3

石城陥落(1) 我が郷土の歴史を戦国時代まで遡ると、南海道の伊予には有力豪族の河野氏が松山道後に湯築城を築きこの辺りを治めていた。道後平野の稲作など豊富な食糧を守るため、瀬戸内の有力水軍も傘下にあった。喜多郡には宇都宮氏、宇和郡には西園寺氏…

戦国武将・土居清良という男 2

「戦国 伊予の聖雄 土居清良」は平成29年12月発行で、発行者は(ひの心を継ぐ会)三浦夏南氏である。今後はこの本を本書と称して展開したい。 本書には(序)に続いて(その一族)を記している。 11代土居清宗(早雲)は14人の子供がいた。長男12代家嗣の清…

戦国武将・土居清良という男 1

ブロガーの郷里吉田町に石城山、犬尾城山という小高い山がある。 かつて伊達吉田藩の町造りに、それらの山を削って葦の湿地を埋め立てたので、急峻な形状をしている。 子供の頃、町の中心地「横堀」から犬尾城山を見上げて育った。たまに頂上まで登った事が…