2023-12-01から1ヶ月間の記事一覧

ブログ本の出版&ブログ休止

これまで愛媛県宇和島市吉田町の「吉田三傑」などの偉人伝や、郷里の歴史・文化をブログに書いてきました。 ブロガーは、今年9月『航跡 三篇』と題して自費出版(非売品)しました。内容は、ブログにアップした「がいな男」、「アイクと呼ばれた男」とkindle…

アイクと呼ばれた男(35/最終回)終焉

浜田喜佐雄の寿像制作者は伊藤五百亀氏、題字は増原長官。 吾が胸像を見て浜田は、(地下の父母いか宜ふや桜花の春)と詠んだ。 ブロガーは平成26年9月『トランパー』の取材で40年ぶりに浜田翁の銅像を訪れた。昔、昭和50年に浜田家を訪れた時は、浜田翁が浜…

アイクと呼ばれた男 (32)田中正之輔急逝(33)三光事件(34)浜田社長激昂

「田中正之輔急逝」 鎌倉円覚寺の朝比奈宗源管長は「田中さんを送る詞」で、義理固い田中の人となりを追想録に寄稿した。…朝比奈管長は、がいな男の山下亀三郎が亡くなった時、盟友の松永安左衛門が「私の友人山下が死んだ。この寺に葬らせてくれ」というの…

アイクと呼ばれた男 (29)ジャパンライン(30)ジャパン近海(31)インターエイシアライン

海運集約でジャパンラインが発足した。田中も竹中も自分が育てた会社の名が無くなるが、大所高所から国家の為に合併したので、名に拘らず、ハイカラな社名にした。 筆者が入社した(昭和42年)ジャパン近海は、以前、元日東商船が入っていた岸本ビルの3階に…

アイクと呼ばれた男 (27)吉田町へ帰省(28)海運集約

浜田は昭和35年、雑誌『四国』4月号に〝望郷”と題して寄稿した。 …ここ玉津は法花津湾と呼ばれる湾の懐深く抱かれた村で、はるか南西は、豊予海峡の波頭を眺めて天涯に接し、又その背後には600m余りの高森山がそびえ、数々の連山、山稜によって囲まれている…

アイクと呼ばれた男 (26)スーパータンカー建造

浜田がタンカー「エベレスト丸」を建造した頃、日本で初めてのLPGタンカーが播磨造船所で起工された。日東商船が日本合成ゴム㈱向けの「第一えるぴい丸」で、5年後、浜田はジャパン近海の社長として、えるぴい丸シリーズ船を建造、運航することになる。日本…