2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

MIYA-BLOG2014と吉田三傑2019が合体

ダイヤリ―からブログへ移行中、インポートに失敗! 今後はこのブログに統一します。 吉田三傑2019の記事はこのブログで更新します。

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はてなダイヤリ―からはてなブログへの シフトを止むなくされたが、今一何でなのか分からない 此処は何処私は誰? 古稀の齢では対応難しい、ブログになってんの??

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし(お節句のお弁当)

亥の子の次はお節句の話し、ブロガーの家は長女が居ったせいか、ひな人形があった。男4人兄弟になっても何故かお袋は、ひな人形を引っ張り出して飾っていた。 男の節句は旧暦で4月、馬の背という小高い山の雑木林に入って、旗をめぐらし陣地を作った。チャ…

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし(亥の子)

吉田まつりの話はここまでにして、三瀬教利氏の回想記「ジュラ紀前」から懐かしいエピソードを掲載させてもらいます。いのこ(亥の子) 旧磨の10月、亥の日に子供組みの行事があった。14歳以下の男の子が、その年お宿を勤めてくれる有志の家に集まって収穫を…

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし(祭り料理)2

(祭り料理)2お祭りで子供の楽しみは、やはり各家に伝わる郷土料理などの御馳走である。 三瀬家の料理は評判だったのでしょう、親戚縁者など来客の話も面白く書かれている。*** ところで料理をするにはいろいろな器具や道具が要る。普段は使わないそれ…

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし(祭り料理)1

(祭り料理)1 三瀬教利氏の回想記「ジュラ紀前」には、お祭り料理の事が詳しく書かれている。 三瀬氏は大阪大学卒で大手製薬会社に就職された。文筆も達者で昔懐かしい料理の数々が細かく記されているが、今ではこのように手の込んだ料理を作る人はいない…

伊予吉田の歴史と文化 吉田祭礼の行列絵巻(3)

御用練は粛々と、町方練車は情緒たっぷりに陣屋町へ繰り出す。 祭のクライマックスは、牛鬼や宝多、神輿さらに鹿の子で、おねりは静から動へと変化する。牛鬼は立間尻(元町、鶴間、浅川)の者が担い、神輿は八幡神社のある立間の者が担ぐ形になっている。 …

秋山好古生誕160年祭

ブロガーは今年1月6日、松山市の秋山兄弟生誕地で開催された、秋山好古陸軍大将の生誕160年祭に参加した。郷里吉田町から山下亀三郎翁を偲ぶ会の皆さん、東京からは山下家、秋山家のご親族が来られた。来賓の中村時広愛媛県知事の祝辞は「秋山大将は退任後、…

松山行き

今年もよろしくお願いします 新年早々、松山市に行った。秋山好古生誕160年祭に出席した。 田舎から山下亀三郎翁を偲ぶ会20名、東京から山下家、秋山家関係者が来られた。 秋山好古は陸軍大将を辞め、松山に帰って来た。北豫中学の校長を6年間務めた。 中村…