2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

『欧米独断』 第一北米篇(海の幸、陸の幸)

吉次郎は加州におけるロサンゼルスの日本人漁業の現状とサンタローサの農場について語っている。 3月9日夜、ロサンゼルスに到着した。街は人口130万と発展著しい。海港サンピードロには太平洋を横断した「これあ丸」が入っていた。その船の南方に漁船港があ…

もうすぐ春

いつものように決まったところで 花が咲き始める それに誘われて同じところに 足が向く 三寒四温の間隔が短くなり 春に向かう 2月もあとわずか、冬から春へ一句 白加賀の香りに群れる子らかわい

クローデル姉弟と吉次郎の奇縁

昭和2年2月25日太平洋上の「これあ丸」甲板で100名程の記念写真に、吉次郎とポール・クローデルが映っている。この写真は吉田高等学校「吉田三傑資料室」の新聞記事に載っているもの。記事には19世紀フランスの女流彫刻家カミーユ・クローデルの弟で、詩人で…

『欧米独断』 第一北米篇(半月湾の掘出物)2

予が四日桑港に到着するや、新聞日米早くも之を江湖に傳ふ、故を以て知米知を問わずして我縣人の來訪頗多し。五日早朝姓山本といへる人あり。兒を携え来たりて面晤を求めらる。予其何人たるを記せず、訊問して暫くに山本稠造氏の長子にして写真師豊美君の兄…

河津桜

やっと風邪が治った 痰が切れず往生した、2回医者に行ったのは初めて 加齢で病も治りが遅くなったのか GGは3回不参加、MJは行った 大風が止み花の丘公園へ散歩 河津桜がほぼ満開 一首 早咲きの桜の花に足早く北総の丘駆け巡るかな

『欧米独断』 第一北米篇(半月湾の掘出物)

来て見れば聞きしに劣る富士の山釈迦や孔子も斯くぞあるらん とは長藩の大政治家村田清風の詠歌なり。 彼は斯く観じて改革の大業を遂げたり。予は江湖の援助に因りて遠遊を敢てす。耳を鬼にし、眼を隼にして所得を庶幾ふ。 而も如何に金門(ゴールデンゲート)…

『欧米独断』 第一北米篇(ホノルルの一日)

吉次郎のハワイ考証は、明治14年ハワイ国王カラカウアがアメリカの進出で危機を感じ日本へやってきたことを示唆している。明治天皇にハワイアジア連合の盟主たらんことを懇願した。 娘カイウラ二王女の政略結婚も申し出た。しかし日本はこれを断り、ハワイは…

吉次郎、亀三郎、保固の吉田三傑が築きし「吉田高校」先輩の訃報

吉次郎は町長の時、吉田中学、吉田病院の建設資金のため資産家二傑に金を出させた その後、吉田中学は山下女学校と合併し吉田高等学校となった ブロガーの3年先輩に「池部楽器」の社長がいるが先日亡くなった 突然の訃報に言葉もなかった、誰も病気のことを…

告別式

高校の先輩が急逝された 青山の告別式に参列した 「楽しければ人が集まる」をフレーズに楽器商で成功 昨年夏、秋葉原で同窓生を集めて頂き、自著「トランパー」を語る会を開いてくれた その後、店に一回伺ったが数日後に電話いただいたのが最後だった ゴルフ…

『欧米独断』 第一北米篇  布哇と呂宋

この本の目次は、第一 北米篇、第二 南米篇、第三 欧州篇、第四 これやかれや、 となっている第一北米篇の書き出しはこうである 私は2月26日の朝3時に床を出て下弦の織月に向かって正東に駛る「これあ」丸の甲板でこういうことを考えた。人間万事塞翁の馬な…

『欧米独断』の序

「欧米独断」は昭和3年出版された 清家吉次郎は昭和2年1月17日から9月1日までの8か月間、アメリカ、ヨーロッパを 駆け巡り、その旅行記を1冊の本に認めたのである 冒頭に20世紀前半のフランス文壇の巨匠で外交官でもあるポール・クロウデル大使が吉次郎に寄…

立春

午前中はGゴルフで一汗 いい天気だ、散歩日和で花の丘公園へ 大陶器市をやっていた いい珈琲カップがあったが2千円なり、見送った 来週までやっているようだ 蝋梅、白梅、沈丁花が満開、 河津桜が一輪咲いた、コブシはまだ 早いもので1月が過ぎ…2月逃げる、…