2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし      (缶の寄せ合い)【最終回】

缶の寄せ合い(ジュラ紀前より引用) 私が少年期の記憶である。町恒例の行事として毎年春に消防の出初式があった。出初式では一通りの形式ばった式の後、缶の寄せ合いというゲームが行われた。 式は町の中央を横切る川の川原で行なわれた。春といってもまだ…

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし     (メジカ釣り②)

メジカ釣り②(ジュラ紀前より引用) 空がすっかり明るくなり、やがて日が昇って海が青くなるころまで、ほんの1時間前後であったろうか何度かの回遊訪問を受け、舟はずっしり重くなった。 京都のいとこたちにとっては、まさに衝撃的な経験であった。 その後、…

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし     (メジカ釣り①)

メジカ釣り①(ジュラ紀前より引用) 戦後間もなくのこと、ある日突然、前触れもなく釣り舟が引かれてきて家の裏につながれた。手こぎの木造和舟である。いわゆる伝馬船の部類に入る。当時、町ではエンジン付きの漁船は少なく、まだ手こぎのものが多かった。 …

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし     (餅つき)

餅つき(ジュラ紀前より引用) 暮が近づくと、あっちかもこっちからも正月の餅をつく音がぺッタン、ぺッタンと響いた。年末の恒例作業である。隣りに負けないようにたくさんつこうぜと競い合った。 蒸篭や臼、杵、木箱、ざるなど一通りの道具・器具を洗った…

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし      (粉ひき)

粉ひき(ジュラ紀前より引用) 昭和20年終戦前後のことである。よく「はったい粉」を熱湯で練っておやつに食べた。 「はったい粉」は麦を軽く炒って石臼でひいた粉である。「麦こがし」ともいう。これを茶碗に入れ熱湯を注いで練る。わずかに粘り気が出て塊…

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし   (シャコ釣り、メジロ捕り)

シャコ釣り、メジロ捕り(ジュラ紀前より引用) 穴シヤコはヤドカリの仲間である。すしなどのネタになる食用のシヤコと違い、干潟に穴を掘って住んでいる。シヤコにくらべるとかなり小型である。我々が親しんだシヤヨはこの穴シヤコのことで、このことは「家…

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし     (米俵の防空壕)

米俵の防空壕(ジュラ紀前より引用) 昭和2 0年の5月、ある日の昼過ぎ、グラマン戦闘機が宇和島市に急降下爆撃を加えるのを目撃した。ブーンと急に爆音が空から降ってきて丘の向こうに機影が消えたと思った一瞬後、ドカン!という爆発音が響き渡った。続いて…

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし      (レータの浜)

レータの浜での磯遊び(ジュラ紀前より引用) 町は入り江の奥にある。U字型の湾の両岸は岩場と砂浜が交互に並ぶ綺麗な渚が連なっていて、左岸側にはほとんど集落がない。自然のままの渚が続いていた。 リアス式海岸特有の岩場に挟まれて、所々にちょっとした…

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし       (家から釣りができた)

家から釣りができた(ジュラ紀前より引用) 吉田町は四国の西南部、豊後水道に面したリアス式海岸の湾内にある。対岸九州は大分県である。山また山の隙間を流れ下る細流の河口に、わずかな平地を造成して造られた。もともと葦の茂る沼地で葦田(あし、または…

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし        (闘牛)

闘牛(ジュラ紀前より引用) 闘牛も垣間見たことがあった。これもまだ幼児のころである。 家の対岸、山すそを通っている道路を川沿いに上ると、山すそがわずかにへこむでいて、ちょうど小さな闘牛場が一つ造れるくらいの平坦部があった。半周が山の斜面で自…

伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし        (十日えびす、七夕)

十日えびす、七夕など(『ジュラ紀前』より引用) 暮れの餅つきから正月と続いた熱気が、一段落する間もなく十日えびすが来る。大阪で言う商売繁盛で笹持って来いの日だ。 私の家は1軒おいて隣りが住吉神社、えびす神社だから、みんなが家の前をぞろぞろ笹持…