2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第35回  住吉神社

「吉田藩昔話」には 濱通りの住吉神社は長享の頃元町の漁夫が漁業の守護として、攝州住吉の分靈を勸請し鎭座して居ったのを開藩後今の處に遷座せられたもので、每年六月十六日の夜祭には御代參として御船奉行は麻裃着用、御船手から御用船に乘込み御紋章入り…

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第34回  大楽寺

吉田町喜佐方に在る「大楽寺」はムササビ寺で有名、現住職のカメラコレクションは凄いという(ネット検索) ブロガーが小学生のころ、我が家(宮政食堂)に和尚さん(先代)がやって来た 8㎜映写機でムササビを撮影したシーンを皆に見せた、多分親父もカメラ…

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第33回  御殿前

石城山の下が吉田藩陣屋で、国安川に架かる橋の先が御殿前 海運王の山下亀三郎翁が創設した「山下女学校」はこの辺の十余りの屋敷などの 跡地に校舎を建設した、川岸は松並木があり中々の名所であったそうだ 伊予吉田藩の建設は明暦3年(1657)で、その頃松…

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第32回  長栄橋

この橋を渡って吉田中学校へ通った、此処までくると潮の香りがより強く感じた 橋の手前に貸本屋が有ってよく漫画を借りて読んだものだ バスケ部でここを通り神社の階段を登るというキツイ練習を想い出す 『吉田藩昔話』に 長榮橋は從前は御旅所の上方にあっ…

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第31回  三輪橋

横堀川が国安川に合流する所に、三輪橋がある。潮が満ちると水位は2メートル近くになる。 ボラ、サヨリが橋の上から群れになっているのが見え、ワクワクしたものだ。 夜になると橋の上で釣りをしたがフグ、うなぎ、チヌなど海魚が釣れた。 橋の傍に罐詰工場…

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第30回  左海別館

「左海」は旅館、ブログ本『吉田三傑2017』で紹介したが、大正8年発行の「宇和島案内:附北宇和郡案内」に …現町長は県会議員中での雄弁家清家吉次郎である。今治屋、左海などの旅館もあり、料理屋もあれば芸妓もゐる。… と記されている。昔、故郷吉田は相当…

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第29回  大乗寺

文献では、「吉田藩初代藩主宗純は陣屋町造成と同時に領内諸社寺の修復に取り掛かり 立間八幡神社の北東に位置する妙心寺派臨済宗の寺院、『玉鳳山大乗寺』を再建、伊逹家の菩提所とした」とあるブロガーは行ったことがないが、最近は外人などの見学者もある…

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第28回  一乗寺

「吉田藩昔話」には一乗寺は法華宗で初代宗純侯の建立に係わり宇和島妙典寺の僧日要を以て開山とする、宗純侯御内室墓所のある處、境内に鬼子母神加藤清正を祭り参詣者が多い、と記されている。 ブロガーの菩提寺で法事などで伊予吉田駅の裏の丘を登っていく…

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第27回 墓地

朝治の版画は犬日山(犬尾城)が多く描かれている Poem(詞)にもよく詠われている この絵は煙硝蔵の方向から見た所を彫ったのであろうか

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第26回 新田

吉田湾を望む所で、鶴間の辺りであろうか まだ海がきれいで白魚漁が盛んであったのでしょう 潮の香りを感じさす絵である

今年のフィナーレ

HO会活動は全て終わり暫しの休み 、今年1年をMovieで振りかえった 1月は松山へ行き5年連続の帰省 8月に2作目(吉田三傑2017)を自費出版し関係者に配った 病院通い、HO会のMovie編集など後半が何かと忙しかった 長い様で早かった一年かあ一句 年の…

伊達藩のこと(白井市と伊達市が友好交流協定)

ブロガー第2のふるさと、千葉ニュータウンにある「白井市」が発行する広報「しろい」に、10月26日付で白井市は福島県「伊達市」と友好交流協定を締結したという記事が載った。ブロガー第1のふるさと愛媛県「吉田町」は伊達三万石の城下町だったので「伊達」…

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第25回 中番所

中番所にはゲートを構え旅人はご家中に入るのを禁止していた 旅人の通行は総て石場通りを往来させていた

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第24回 黒門

「吉田藩昔話」に徒士岡崎次郎九郎(住宅は御弓ノ丁裾、黒門通りにあった)… また、御弓ノ丁の裾に川に臨んで黒門があった、黒門通りの南側の云々 とあるので、本丁の裏の通り、吉田病院の裏辺りか?

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第23回 八ッ橋

版画家・小林朝治は信州須坂の生まれ、須坂藩一万石の陣屋町に育つ 金沢医科大学に学び眼科医として遥か四国の僻村へ赴任した 僅か4年の間に56点もの版画を彫った、更にPoemを、この多才ぶりには驚かされる 日曜画家でよくぞ吉田の風物詩を沢山創作して…

千葉ニュー師走

朝散歩公園カエデ紅葉幾何学模様千葉計算Sビル群 立体交差遠望大型店舗アメリカーノ煙草一服 花の丘公園バザー&アトラクション聖夜演奏梅木蕾有 師走乍後50日梅開花北総線電車往太陽光パネル群 動画編集BGMsilent night 一句 冬陽差す子供ら燥ぎ歌聞こゆ…

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第22回 宗五郎神社

吉田湾が見え、犬尾城山、鶴間湾が描かれている 宗五郎とは誰を祭っているのだろう 神社の場所もよく分からない? ブロガー地元の千葉県佐倉市に残る義人・佐倉惣五郎伝(宗吾)は 百姓一揆で有名、京成本線の駅名(宗吾参道駅)にもなっている 愛媛八幡浜市…

季節は「大雪」

師走に入り、早くも8日今日は寒い 5日は地元GG大会、32hで79打 老老者と回るがブロガーの足が不自由で 丁度いいスピードでプレーできる 月曜日の整体診察でこれから毎週リハビリとなった 握力が極端に落ちている HO会の活動にリハビリが加わった 水…

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第21回 福ケ森

旧街道、富士、逆光の海色、ポンポン船の言葉が詞の中に在るが サッパリどこが分からない 吉田湾を見下ろす小高い山から見た風景のようだps:吉田昔話では39.御船手役所のページで …宇和島街道は海蔵寺の門前から福が森を越えて横網代に下り知永へ出るので…

伊予吉田の文化遺産 (吉田風物畫帖/小林朝治著) 第20回 闘牛場

昔の写真を見ていると、犬尾城の麓、向山に闘牛場があったみたい 宇和島の闘牛は有名だが吉田にあったとは驚き 南予では昭和初期に宇和島近辺の村々に「突き合い駄場」と称す 闘牛が盛んに行われていたという