2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

西国の伊達騒動 13

吉田藩紙騒動 (6)百姓願い事 十一月の御仕法が発令されて以降、十二月四日に紙方役所は、紙の運搬方法など細則を出した。さらに楮の値段を決め、役人が出向いたときの賄事を定めた。 だが、百姓衆を激怒させたのは、役所が御小人組の栄蔵など数名を用い、…

西国の伊達騒動 12

吉田藩紙騒動(5)紙方役所 紙漉き百姓に突然、悪しき報せがあった。 寛政四年十一月十五日、藩は紙方役所を置き「紙方御仕方替」つまり密売などの取締りを厳しくする新法を作り、藩は財政難を乗り切ろうとした。 これを知った作之進は驚き、御郡奉行衆へ …

西国の伊達騒動 11

吉田藩紙騒動(4)商人と百姓 作之進は、法華津屋が紙の商売を止めたいという、手前勝手な言い分に腹が立っていた。 御用商人は、藩や、大阪の豪商らから借りている楮元銀の資金を、返済できなくなった。それは、近年、紙の出来が悪く、紙漉き百姓衆からの…

西国の伊達騒動 10

吉田藩紙騒動(3)法華津屋 さて、話を紙騒動に戻すと、作之進が活躍する吉田騒動は、江戸後期にかかる頃であった。 江戸初期、伊予吉田藩が発足する前、寛永十年(一六三三)には鎖国令が敷かれ、それ以降、外様大名は参勤交代の制度化で、莫大な経費の捻…

西国の伊達騒動 9

三代吉田藩主と松の廊下事件 元禄十四年(一七〇一)三月十四日、江戸城松の廊下で起きた事件は、赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が高家・吉良上野介義央に「此間の遺恨覚えたるか」と刃傷に及んだ椿事である。 これは西国伊達藩の騒動ではないが、この事件に伊予…

西国の伊達騒動 8

山家清兵衛(やんべせいべい)事件 四国の三大お参り所は、四国八十八カ所参り、金比羅参り、和霊さん参りと言われている。 宇和島市の「和霊神社」は、伊達宇和島藩・家老の山家清兵衛を祀っている。 西国の伊達二藩には様々な事件があったが、宇和島藩の創成…

西国の伊達騒動 7

山田騒動 吉田藩紙騒動は、土佐藩との国境が発祥地である。 吉田藩の発足後に起こった大事件も、元はと言えば土佐者が絡んでいる。 それは、天和三年(一六八三)の「山田騒動」で、元土佐藩士が吉田藩を牛耳ろうとする野望から発したものだった。 この事件…

西国の伊達騒動 6

吉田藩紙騒動(2)百姓一揆前夜 広見川上流の山間部の百姓は、紙の原料である「楮(こうぞ)」の木を栽培して生活の糧にしている。山奥には、マタギ、樵(きこり)、炭焼きも暮らしている。 百姓の中には、楮の木や畑を荒らす猪、鹿など狩猟に使う四匁の鉄砲を…