吉田三傑「村井保固傳」を読む 10

福澤先生に難問提出

一日村井は思案に余ったか、福澤先生の前に出て思い切って奇問を試みる。『先生私は意志薄弱で自分ながら持て余しております。もう断然遊びに行くまいと思つて居っても、日が經つと又行きたくなります。悪いと知りつつその悪事が止められないのです。イクラ決心しても何時の間にか、意志が動搖するので全く腑甲斐ないと思います。失禮ながら先生もお若い時に、御経験はおありでせう。当時の御経験と御考へを承つて、私も強固な意志を養いたいと思います。どうぞ私を助けると思って御話を聞かせて下さい』との質問である。
先生可笑しくもあるが、一面又本人の熱心には動かされた。
『そうか それでは自分のことを話すが、私は中津の生れで士族ではあるが、中流以下の厳格な家庭に人となつた。中津でも若い者は動もすると花柳界へ出入りするのであつたが、自分は曾て行つたことがない。それで相當信用されて居ったと見え、骨牌遊びなどに行つては福澤さん内の娘を連れて行つて下さいと頼まれ、往復とも連れ立つて步いたりしたが、別に何とも思はなかった。其後長崎に行き大阪に出たが、當時の蘭學者は皆医者である。そうして医學生は性に関する話ばかりして隨分猛烈の方である。昨晚は何處に遊んだとか、もてたとか兎角女の事が多い。時にはオイ福澤本ばかり読んで居らずに、少しは浩然の気を養いに行けと誘はれたこともあるが、自分は一向平気で別に煩悶したこともなければ、制慾に苦しんだ経験もない。だから君の質問に對してどうしたら善いかチョッと返答のしやうがない』
村井は更に語を繼いで
『先生は君子です。小人の持つ御經驗のないのは敬服しますが、併し私共凡人は不具者でない限り萬人共通の問題であります。どうしたら之を制せられるでせうか』
『君はそれほど自制が出來ないのか、それでは仕方がないぢやないか』
『仕方がないのですが行けば金が要ります。その金がありません』
『金がなければ止めるより外はない』
結局總てが金に帰着する所で話は鳬(けり)になつた。