2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

がいな男 (50/最終回)銅像建つ

がいな男もとうとう最終回となった。昨年1月31日月曜日に、第1回目が掲載されたが、その後、4月6日から当ブログにコメントを補足してアップした。近日中に50回分をまとめた小冊子を制作しようと思う。 昭和35年11月3日の銅像除幕式で、宇和島市長中川千代治…

がいな男 (49) 巨星墜ちる

がいな男、 山下亀三郎は、昭和十九年十二月十三日、神奈川県大磯町西大磯五一八の別荘で肺炎のため逝去した。墓は、鎌倉円覚寺にあったが、後年、小金井市・多磨霊園に改葬された。多磨霊園には亀三郎翁ゆかりの大物が眠っている。ブロガー著作の『トランパ…

がいな男 (47)行政査察官 (48)老骨にムチ

がいな男の長男・太郎が山下新日本汽船/昭和57年の『殉職者追悼録』に〝追憶〟と題し寄稿している。 第一次大戦の時代は、私はまだ学生であったので、あまり多くの事を記憶していないが、第二次大戦中は社長であったので思い出も数え切れぬ程多いのである。 …

がいな男 (46) 天皇陛下ご進講

がいな男の秘書、木村一郎は京都帝国大学卒のインテリで、晩年『足跡』を著した。 木村は、昭和5年山下汽船に入社、日々日記をつけていた。 昭和10年6月神戸港には、ロンドン支社へ赴任する木村を見送るため、会社の連中や、川崎汽船、三菱商事などの関係者…

がいな男 (45) 東条内閣の顧問

昭和18年3月、東條内閣は、数名の財界人を内閣顧問に任命し、軍需増産のため「行政査察使制」という政策を打ち出した。がいな男、山下亀三郎は、財界のそうそうたるメンバーと同様に、官民多数の随員を従え、重要産業の現場を視察した。三菱重工社長の郷古潔…