2023-07-01から1ヶ月間の記事一覧

アイクと呼ばれた男( 17) 「船舶運営会」 

昭和16月8日の「トラトラトラ」で太平洋戦争に突入した。田中の唱える海運の国家統制で、昭和17年4月、船舶運営会が設立された。 本部は日本橋白木屋の6階に設置され、運航局など実務部隊は「山下学校」の優等生ばかりだった。理事長に八幡屋春太郎、運航局…

アイクと呼ばれた男 (16)辻鈔吉、大同を去る

昭和13年、浜田は論功行賞で会社の株式、50株を貰った。また賞与として1万円を支給された。当時洋服が50円、靴が10円の時代である。浜田は1万円を貰い「どないしたらいいもんか」と、ハタと当惑したそうだ。 浜田は15年1月北京陸軍部に召喚された。大同は秦…

アイクと呼ばれた男 (15)盟友・石田貞二急逝

田中正之輔は山下汽船を辞める時に125,000円の借金があった。 昭和12年5月、亀三郎翁は田中ら山下脱退組を午餐に招待した。翁は7年前に辞めた者に退職金を払うという。「金はわしが貸したんだ。初めから払って貰おうと思っとらぬ。退職金は取り悪くかろうが…

アイクと呼ばれた男 (14)定期航路とタンカー

飯野逸平は、伊予吉田町生まれ、明治37年宇和島中学を卒業後、村井保固の紹介で森村組に入社した。大正元年からニューヨーク支店へ赴任、村井の下で働いた。村井の後任として太平洋を33回往復し、自らを「太平洋の蟻」と称した。 最後の航海を記念して、 一…

アイクと呼ばれた男 (13)新型船・高栄丸

浜田喜佐雄の入った大同海運は、船を持たない、オペレーター専門の会社だった。商売道具の船を持たなくて、貨物輸送の仕事が良く出来るものだと、世間は思うかも知れないが、ものは考えようである。他人の船を借りればよいのだ。1年間の用船期間と月間の用…

アイクと呼ばれた男 (12) 創業の苦難

大同海運の資本金は50万円、そのほとんどを創業して1年で食いつぶした。昭和恐慌のあおりで貨物は閑散、海運マーケットはどん底だった。 浜田は無償提供の内田ビル3階に通勤した。上司・八幡屋春太郎39歳の下に30前後の若者がそろった。暇な営業マンやブロ…

アイクと呼ばれた男 11 学者・田中正之輔

浜田喜佐雄のボス・田中正之輔を山下汽船に入社させたのは、京都大学・末広重雄教授だった。末広の尊父は明治のジャーナリスト末広鉄腸、宇和島の人である。亀三郎は末広教授に京都大学の秀才を世話してもらった。 (渋澤栄一子爵と末広重雄のエピソード) …