2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

西国の伊達騒動 22

吉田藩紙騒動 (15) (最終回) 六代伊達村芳お国入り 寛政五年の山奥組を発端とした百姓一揆は、宇和島藩の八幡河原に集結するという騒ぎに発展した。家老安藤義太夫は、一揆を鎮めるため河原で自刃した。やがて農民らは歎願書を出し、概ね願いが叶い百…

西国の伊達騒動 21

吉田藩紙騒動 (14) 一揆の頭取たちを逮捕 吉田藩の領民が帰村した後、二月二十三日、代官たちは各村で、八幡河原で申し渡した十一か条に加え、具体化した内容の十二か条を言い渡した。 代官らはこの申し渡しに村浦を回り、漸く二十六日に陣屋へ帰ってき…

西国の伊達騒動 20

吉田藩紙騒動 (13) 歎願書が出て帰村する 家老安藤の切腹は、一揆勢の知るところとなった。潔い死に一揆の闘争心が失われ、百姓の中には、「なんと天晴な武士」と感涙する者も現れた。 十五日になって、やっと一揆のリーダーたちは、家老の自刃にショッ…

西国の伊達騒動 19

吉田藩紙騒動 (12)安藤義太夫の切腹 山奥組や川筋の連中は、九日夜の出立から四日目となり疲労困ぱいの様子だった。 武左衛門は、山奥、川筋の楮・紙すき農民の願書を出しているので、あとは三間郷、吉田郷の百姓衆の出番と考えていた。 八幡河原には、…

西国の伊達騒動 18

吉田藩紙騒動 (11)八幡河原へ集結 二月十二日、ついに百姓一揆の群れは、宇和島藩領に流れ込んだ。 三間に来ていた目付の久徳半左衛門は、この事態に急いで吉田藩陣屋へ帰った。 郡奉行・小嶋源太夫は、中見の沢田儀右衛門を従え宇和島へ向かった。その…