小林朝治画伯と坂村眞民先生 1

先月、坂村真民記念館の西澤孝一館長にメールした
上野にある東京都美術館の書展で眞民先生の詩があり、多くの書道家が先生の詩を取上げているということ、
また母校吉田高等学校の創立100年記念に先生の詩碑が建てられて、教え子としては嬉しい限りですと伝えた所、
「小林朝治」について書いた眞民先生の詩が2篇あると返信をいただいた
昭和25年、眞民先生が三瓶から吉田に来られた年「ペルソナ」という詩誌に発表されたもので、眞民先生41歳だった
一つは吉田風物画帳の「海蔵寺」についての詩である
先生の有名な(念ずれば花ひらく)の詩碑は吉田町に一つしかない
それは「吉田三傑」の村井保固と「吉田騒動」の安藤義太夫継明が眠る海蔵寺である

(吉田海蔵寺を訪れて)

小林朝治を偲ぶ
詩を作る若き友五人
それにわたしとわたしの子供二人を連れて
あなたが一生懸命一枚の油絵を描いたという
海蔵寺を訪れた
六月の夕べの曇りは重く
雨をふくんだ雲が層々と西へ流れていた

お寺というものはいつ来てもいいが
夕べの静かなひととき
掃き浄められた庭に
木魚の音がひびいてくるのは
特にこの世ならぬ思いがする

玄関から本堂
本堂から奥の書院へと
わたしたちは勝手に入っていったが
大きな銀杏の木の満々とした緑の葉群にも
かつてあなたの視線を感ずる思いがした

その夜あなたの最後のさまを
人伝に聞いたのであるが
一服の鎮静剤を飲んで寝たせいか
割によく眠れて
あなたの悲哀よりも
あなたの純粋さに
わたしは強く心ひかれていた
今日はあなたが勤めていた病院へ
あなたの版画を見にゆこう
あなたの悲しい鑿の跡よりも
版木に塗りつけた
あなたのぎりぎりの美心に触れてゆこう




(吉田町海蔵寺〜念ずれば花ひらく〜の石碑)