2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

清家吉次郎伝 6

(2つの逸話)=無逸清家吉次郎伝より= 〇明治34年、南宇和郡視学時代のころ、親友、萩森壮太朗と松山の夏目漱石「ぼっちゃん」で有名な 城戸屋に泊まっていたとき、丁度そのとき東久世通緖伯が松山に来ていた 吉次郎は萩森に「おい一緒に行って話してみよ…

清家吉次郎伝 5

吉次郎の南宇和時代は明治35年5月までで、6月には伊予郡視学に転じた その後は各地を転々として南宇和時代のように1カ所に4、5年留まるようなことはなかった 36年西宇和、39年温泉郡に転任し、40年にまた郷里北宇和郡に帰ってきた 当時の郡長は宇和島出身の…

せ、き生の正体

ブロガーは、恩師・渡部先生からの情報を得て、早速吉次郎の親族に問い合わせた 大洲市に居られる曾孫にあたる方と話ができたが 吉次郎の孫、三四子さんは既に亡くなられていた 広島、松山と引っ越すたびに吉次郎の遺品は整理され日記などの資料は皆無と言わ…

吉次郎の投稿 2

故・和田克司氏(元・大阪成蹊短期大学名誉教授)の遺稿から、せ、き生(吉次郎)の投稿を繙く ***柏島水産補習学校を観る せ、き 生柏島といふ所は土佐の幡多郡最西の凸角で昔は陸つづきであつたのが応永十一年の地震に岬の一部が陥落して島となつたのであ…

アカペラ in 柏

wifeと柏へ行った あるレストランでソプラノ歌手がアカペラで唄う 高齢者に交じって、中には若いカップルもいたが楽しかった、 イタリアオペラあり、日本の歌、懐かしの歌ありでメンバーの輪唱もある 幹事さんが音程を外しながらもソーラン節を唄い盛り上げ…

吉次郎の投稿 1

恩師渡部先生の友人、故和田克司氏は、2009年(H21)西予市で「子規と仰臥漫録」というテーマで講演を行った その中で「病床六尺」について語った 「病牀六尺」は子規の最晩年の随筆で、明治三十五年五月五日、新聞「日本」に発表した ○病牀六尺、これが我世…

「病牀六尺」の冒頭に出てくる校長

吉田中学時代の恩師渡部先生とは昨年50年ぶりに、昭和38年度卒の同級会で再会した。 退任後は「松山子規会」の幹部で子規の研究家であった。 中学では国語を教わっていたので執筆中の「トランパー」の原稿を先生に見てもらった。 その年の5月、愛媛新聞に先…

清家吉次郎伝 4

(小学校長から群視学へ) 吉次郎の勤めていた小学校は南宇和郡城辺という町で、住んでいたのは近くの平城、 何時も大きな弁当箱を提げてコツコツ歩いて通った その姿は手織りのゴツゴツした木綿着物に木綿羽織で、肩幅の広いがっちりした体で 町を闊歩した…

神無月 秋晴れ

もう10月、神無月だ、今年もあと3か月本当に時がたつのは早い 今日は秋晴れ、爽やかな朝で午前中散歩する 花の丘公園の枝垂れ桜に白い花が咲いている なんでか?各地でそのニュースを聞くが 台風で木の葉が散り、季節外れの花が咲いたとか 桜の花に蜻蛉が群…