帰郷日記②
9月28日(日)きさいや広場できしび、お供物を買って、兄の13回忌に一乗寺へ向かう。


(吉田湾明治39年亀三郎翁は喜佐方丸を浮かべた) (史談・同級会)

(2月、吉田祭礼のお練りは国の文化財に指定された)
午後は吉田公民館で吉田史談会と吉田中学の同級会が懇談会を開く。6年ぶりの懐かしい面々が揃う。ブロガーは4冊のブログ本の事について種々説明した。史談会は吉田/三間の往還道、十本松道堀切についてご説明があった。藩政時代は年貢を納めるため三間から吉田陣屋町に抜ける山道を開拓した。吉田からは海産物や日用品が運ばれる物流の大動脈だったそうである。今、渡辺先生らは十本松峠の整備、復活に尽力されている。
夕刻、懇親会を近くの鮮魚店で開いた。帰りはバスで宇和島まで帰ったが、乗客は我々二人だけだった。
ブログ再開 帰郷①(桐朋学園ミニコンサート)
2023年12月に休止したブログを再開します!
理由は二つ①いまだに本ブログにアクセスする方々が多くいられる。②9月下旬に山下亀三郎翁が創立した「桐朋学園」が宇和島界隈でミニコンサートを開き、ブロガーも出席した。
という事で、ふるさと「伊予吉田町」に関することをアップしたいと存じます。
帰郷日記① 平成7年9月27日(土)
6年ぶりにふるさと吉田に帰る。成田/松山のジェットスターに乗るため、6時に家を出発。成田発08:05松山着09:50、リムジンバスで松山駅に着いたが、駅が無い?西口に駅が移っていた。


特急で宇和島駅13:03に着いた。ホテルでチェックインして、「きさいや広場」へ行く。海鮮丼を食べて「あゝえひめ丸」の慰霊碑を見る。9名の犠牲者を悼む歌詞が書かれていた。4時からは宇和島市立歴史資料館で、(2025ご縁で繋がるふるさと宇和島・ココロまじわうミニコンサート)が開かれた。演奏は桐朋学園のサックス四重奏+1で、後半は組曲「海運王」と題して、桐朋学園創立の父(山下亀三郎翁)の生涯を1~5楽章、つまり1.喜佐方の春2.どん亀3.離郷4.沈みつ浮きつ5.海運王というテーマで格調高い演奏だった。ブロガーは日ごろ生演奏、特にサキソフォンは聞きなれていないので感動ものだった。この曲は、若き作曲家江原氏の力作だった。
演奏会は26日吉田中学校でも開かれ、ほかにも数か所で演奏されたそうだ。このプロジェクトの椎名実行委員長は、山下亀三郎翁と桐朋学園の結びつきを小冊子に著わし、小学生に配った。亀三郎翁の教育に対する思いが、子供たちに伝わればこんな嬉しいことはありません。


ブログ本の出版&ブログ休止
これまで愛媛県宇和島市吉田町の「吉田三傑」などの偉人伝や、郷里の歴史・文化をブログに書いてきました。
ブロガーは、今年9月『航跡 三篇』と題して自費出版(非売品)しました。内容は、ブログにアップした「がいな男」、「アイクと呼ばれた男」とkindle出版した「子規とあんやん」の三篇です。
『航跡 三篇』は200冊を発行し、一部を宇和島市内の各図書館に寄贈しています。興味のある方はご覧ください。
「子規と あんやん」は吉田三傑のひとり清家吉次郎と正岡子規の機縁(病床六尺)を書きました。


(内航海運新聞に連載)

(『航跡三篇』を吉田高校同窓会関東支部に寄付/梶原支部長撮影)

おしらせ
永い間、当ブログを読んで頂き有難うございました。今回をもって更新を休止とさせていただきます。田舎のこともネタ切れで「やりきった」感があります。
暫く、はてなブログは閲覧可能ですので覗いてください。
皆様のご多幸をお祈りします。
ブログ主
アイクと呼ばれた男(35/最終回)終焉
浜田喜佐雄の寿像制作者は伊藤五百亀氏、題字は増原長官。
吾が胸像を見て浜田は、(地下の父母いか宜ふや桜花の春)と詠んだ。
ブロガーは平成26年9月『トランパー』の取材で40年ぶりに浜田翁の銅像を訪れた。昔、昭和50年に浜田家を訪れた時は、浜田翁が浜田家のお墓参りに行くというので、裏山の蜜柑山へ連れて行ってもらった。お墓は法花津湾を見下ろす丘に建っていた。平成30年豪雨では浜田家のお墓は無事だったが、白浦の蜜柑山は方々で大崩れした。
ブロガーは平成28年4月30日「トランパー出版祝賀会」で、浜田翁のことを話した。郷里の先輩赤松氏は、東京からわざわざ帰省され、浜田翁の昔話を涙ながらに語られた。 …アイク浜田が亡くなって30年が過ぎていた。



浜田翁の眠る福厳寺が眼下にあり法花津湾の向こうに翁の生まれた白浦が望める。

アイクと呼ばれた男 (29)ジャパンライン(30)ジャパン近海(31)インターエイシアライン
海運集約でジャパンラインが発足した。田中も竹中も自分が育てた会社の名が無くなるが、大所高所から国家の為に合併したので、名に拘らず、ハイカラな社名にした。
筆者が入社した(昭和42年)ジャパン近海は、以前、元日東商船が入っていた岸本ビルの3階に事務所があった。筆者は毎朝、ジャパンラインが入っていた国際ビルまでテレックスを取りに行かされた。浜田社長は社用車で三鷹市の自宅から出勤した。いつも大きな黒革の鞄を持って社長室に入った。ペイペイの筆者は、威厳のある社長には近寄りがたかった。しかし、代官山寮の宴会で社長と総務部長が、皆に珍芸を披露した時のギャップは忘れがたかった。

右から竹中、水鳥、田中、浜田、土居、和気あいあいの調印式を終えて、
破顔一笑の浜田喜佐雄が映っている。






