がいな男  (13)  新造船発注

 山下亀三郎は自伝「沈みつ浮きつ」で(渋澤子爵を偲ぶ)と題し、思い出を語っている。がいな男は、渋澤栄一92歳の最期まで、公私ともに大なる指導を受けたという。
 その中で一番感激の念に堪えず頭に残っているのは、大正4年に郷土松山に足を運んでもらったことである。
 がいな男は、東京から子爵にお供して神戸の西常盤で一泊、廻遊船「紅葉丸」に乗って松山に向かった。子爵は道後の「ふなや」に泊まったが、松山市民は財界の大立者を、沸くが如くの大歓迎をした。
 翌日は松山城天守閣で官民諸氏の歓迎会が催された。この席上で、農工銀行の某頭取が、渋澤先生のお徳を、ある高貴のお方に比べて述べたところが……
 それを静かに聞いていた渋澤先生は、ただちに立って「ただ今のお話である高貴なお方に関する所だけは、恐懼に堪えないから取り消されたい」と延べられ、このお言葉で満座は粛然としたと記されている。

 がいな男は、金子直吉の見立てに賭けて、初めて新造船を発注した。船名は郷里の吉田町に因んで「吉田丸」と命名されたが、竣工後すぐにイタリア政府に売られていった。
 その後、第一吉田丸、第二、第三と建造するが、太平洋戦争で兵隊と共に海の藻屑となった。

内航海運新聞 2022/4/25

 

がいな男  (12) 欧州大戦勃発

 彼の福澤桃介は「金子直吉は我財界に於るナポレオンに比すべき英雄だ」と評した。鈴木商店の金子は欧州大戦勃発と聞くや、世界の商品、特に軍需品は必ず暴騰するとみて、ロンドンの高畑に「金に糸目をつけず、あるだけの鉄、物を買え)と号令した。
 金子は、土佐の尋常小学校しか出ていないが、奉公先の質屋の本を多読して知識を養った。海外に行った経験がなく船の知識もないが、海外から入るすべての情報を記憶し、各国の農産物、工業品などの動きも熟知していた。例えば、アルゼンチンのブエノスアイレスからドイツのハンブルグまでの距離が6,601浬あり、速力10浬の1万トン級で輸送すれば何隻で何日間でどれだけの小麦が運べるか分かっていた。ニューオリンズからリバプールまで4,532浬で綿を何隻で何日で輸送量は云々、然りである。更にブエノスアイレス水深26尺、ニューオリンズ30尺など港湾事情まで調査しており、欧州各国が輸出入する荷動きをにらんで、船腹の需給バランスをよんでいた。
 何というスーパービジネスマンだろう。土佐には傑物・岩崎弥太郎が輩出されたが、カリスマ金子直吉鈴木商店は一時、三井三菱をしのぐ売り上げを記録した。
 亀三郎は金子の霊感を帯びた爆買いに乗って提灯買いをした。

内航海運新聞 2022/4/18

 

がいな男  (11) 山下汽船設立

 がいな男は、明治四十四年山下汽船合名会社を立ち上げた。海運のメッカ神戸に支店を置き海外にも進出した。大阪南地の料亭で亀さんは「黒御前」と呼ばれていた。
ある日、大阪商船の幹部を招待し裸踊りでみんなを笑わせた。
亀さんは、座が和んだところで一発えらそうに持論をぶった。
「日本は日清日露を経験したが、再び東洋では中国の内紛、欧州ではイタリアとトルコの戦争と雲行きが怪しくなってきた。いつ大きな戦争になるかわからん。遠い戦争は買いで船を増やさないといけない。それで船は古いとか新しいとかいっておれない。つまり女であれば若いとか年増とか何でもいい」
すると馴染みの芸者が、
「あら黒御前さま、私みたいな大年増でも買ってもらえるのかしら」
また、みんなはドッと笑ったが上品なお客は、
「山下さん、そんな品の悪いたとえはここではいいが、よそに行っていわんほうがいいですよ」とたしなまれて黒御前は頭を掻いた。
 がいな男は、船を増やし人材を帝国大学から採った。いよいよ山下汽船の陣容は整ったのである。

内航海運新聞 2022/4/11

 

がいな男  (10) 捲土重来

 明治の実業家・渋沢栄一大倉喜八郎の両雄は、国家発展のために多くの起業家を育て、多くの株式会社を創出した。
がいな男はその起業家の一人だが、経験の浅い成り上がり者だった。小樽木材会社、韓国倉庫会社に勢いのまま投資した。渋沢、大倉の大物と共に発起人に名を連ね、取締役に抜擢され鼻高々だった。しかし世間は甘くなかった。日露戦争の特需で稼いだ金は、バブル崩壊で株券は紙切れ同然となり、逆に莫大な借金を抱え込んだ。

 〝沈みつ浮きつ″…がいな男は石炭と海運で頭角を現したが投資に失敗、天はまた彼に試練を与えた。

 亀三郎は大倉喜八郎の豪邸で失言し恥をかいたが(財産はやるが、その代わり君の歳を僕にくれたまえ)という金言は、心機一転のきっかけとなった。

 がいな男は捲土重来を期し鎌倉「三橋旅館」に店の者を集め一席ぶった。
「わしの一存で大きな借金を作ったがこらえてくれ。しかしものは考えようだ、わしは、年々財産家になっている。帳簿は赤字でもわしにとって大いなる財産だ。何故なれば、この赤字があればこそ、俺の頭と腕は休みなく磨かれていく。みんな分かるか、赤字はわしにとって無二の親友であり宝なんだ」というと、店員たちは(親方はまたがいなことをいう)と呆れたが皆で再起を誓った。

2022.4..4 内航海運新聞

5/25 CNT駅前




がいな男 (9)鉄道自殺未遂 

 明治39年夏、がいな男は「新喜楽」の女将おきんと一緒に、朝鮮総監の伊藤博文公を表敬訪問した。
おきんは、横浜の富貴楼お倉のもとで修業し、東京築地に新喜楽という料亭を出した。この店は、伊藤博文など大物政治家が贔屓にして繁盛していた。
 朝鮮に渡る前に、馬関(下関)の料理屋「大吉」で、朝鮮に同行する株仲間の平沼延次郎と河豚を食べたが、これがなかなか美味い。がいな男は土産に河豚を持って行こうといったが、おきんが(それはいけない、伊藤の御前は河豚を食べない)というので、新鮮な小鮒を持って行った。延次郎という男は、平沼専蔵の婿養子で、横浜株式米穀取引所の理事長や銀行経営をしていた。
 がいな男は、土産の小鮒を持って、延次郎と共におきんの後をヒョコヒョコついて行った。伊藤公がいる南山の官邸で昼食をよばれたが、昨日の土産・小鮒を焼いたのがお膳に上がっていた。おきんが伊藤公に、「これは、山下が手桶に入れて馬関から持ってきたものですよ」というと、伊藤公は、意味ありげにニヤニヤ笑っている。そのわけが分かったのが、翌朝、秘書官の古谷久綱が、「亀三郎さん、実はお土産の小鮒はみな腐っていて、あれは、こちらで取れた鮒を出したのですよ」ということだった。
三人は、伊藤公もなかなか茶目っ気があると笑ったが、がいな男は、伊藤公に馬関の鮒の講釈をしたので、さらに冷や汗をかいた。

 がいな男と延次郎は、株で大儲けを目論んだが、(驕る平家は久しからず)だった。やがて来る戦後の株式大暴落に堪えきれず奈落の底に落ちた。
 延次郎は大分の耶馬渓で縊死、がいな男は鉄道レールに頭を乗せた。

 

2022/3/28 内航海運新聞

5/8 千葉ニュータウン ビジネスモール

 

がいな男 (8)日露戦争

 がいな男は、自伝『沈みつ浮きつ』の(船を持った動機)の項で、一世一代の英断を語っている。

ーー門司にいた亀三郎は、東京からの至急電報で喜佐方丸に御用船の命令が下ったことを知った。

しかし船は、石炭を積んで上海に向けて出航の寸前だった。このまま上海で石炭を揚げて帰ったら(喜佐方丸は要らん)と言われたらそのままである。

〝ここは英断だ″と「この三井の石炭を何処へでも引き摺り上げて、海軍の御用に応ずるのが一番だ。国家の御用に対し三井などグズグズ言はさぬ……」と船を横浜に廻航せよと命じた。

その後、門司の宿を発って海軍に船を渡すまでの3,4昼夜の間は全く無我夢中で、

「何処をどうして歩いたか、更に分からなかった」と、後々(昭和15年8月)口述している。

 

2022/3/21 内航海運新聞

 

5/4 みどりの日 十余一公園

 

がいな男 (7)船を持つ

 亀三郎は自伝『沈みつ浮きつ』で児島惟謙のことを〝実に気迫の人であった”と語り、徳富蘇峰は(児島翁は真に硬骨男児である)と評した。

ーー児島惟謙は明治28年5月、貴族院議員に任ぜられた。これは、伊藤博文総理が参内した折、明治天皇から児島についてご下問があり、(彼こそ貴族院議員として適はしからずや)という御言葉で伊藤が上奏した結果だった。

その後、児島が衆議院に鞍替えすると聞いて、亀三郎は今西林三郎が同じ愛媛県第6区から立候補することになっていたので穏やかでなかった。

早速、大森の児島邸を訪ね、「あなた様は貴族院議員であられるのに、郷里から衆議院選挙に出られると聞きましたが、一体どういうことでしょうか。ご紹介いただいた今西さんが出馬することはご存じでしょうか」とやや強い口調で聞いた。

すると、「俺は出る意思はないが、田舎の者が推していて困っておるのだ」と児島がいうと、「それなら郷里の有力者に一筆書いて頂きたい。わたしはそれを持って帰郷します」と亀三郎は、(今西林三郎は俺と同じ主義の者なので今西を推してくれ)という内容の手紙を携えて帰省した。地元の新聞社は、山下亀三郎という男が、児島惟謙の選挙を妨害していると報道し、街は大騒ぎとなった。

 そもそも児島は、衆議院選挙に出ることは本意ではなかった。当時、自由党全盛の時代、進歩党は劣勢で傑物を立てなければ、自由党に対抗することは出来ないと、児島が推されたのであった。児島は、進歩党有志の熱意にほだされ、貴族院議員を辞し自由党の今西と争うことになったのである。

3月15日に行われた第5回衆議院選挙の結果は、南宇和郡北宇和郡の第6区は、児島惟謙が401票、今西林三郎が399票の2票差という大接戦だった。

 

2022/3/14 内航海運新聞

4/28 十余一公園