アイクと呼ばれた男(35/最終回)終焉
浜田喜佐雄の寿像制作者は伊藤五百亀氏、題字は増原長官。
吾が胸像を見て浜田は、(地下の父母いか宜ふや桜花の春)と詠んだ。
ブロガーは平成26年9月『トランパー』の取材で40年ぶりに浜田翁の銅像を訪れた。昔、昭和50年に浜田家を訪れた時は、浜田翁が浜田家のお墓参りに行くというので、裏山の蜜柑山へ連れて行ってもらった。お墓は法花津湾を見下ろす丘に建っていた。平成30年豪雨では浜田家のお墓は無事だったが、白浦の蜜柑山は方々で大崩れした。
ブロガーは平成28年4月30日「トランパー出版祝賀会」で、浜田翁のことを話した。郷里の先輩赤松氏は、東京からわざわざ帰省され、浜田翁の昔話を涙ながらに語られた。 …アイク浜田が亡くなって30年が過ぎていた。