2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

「トランパーの雄」出版まであと139日(母・敬の愛)

亀三郎から思わぬお金が届いた敬は、それはそれは大変驚いた。亀が私に金を送るようになったかと5円札を広げながら「これは、飴を買うどころの話じゃない」といって袷を3反織らした。 「この木綿縞を自分の死後、棺を担いでくれた者に一枚ずつやりたい」と…

「トランパーの雄」出版まであと140日(tramperの終焉)

村井に紹介された大倉洋紙店は2年ほど勤めたが店員奉公ではうだつが上がらずと23年の秋に辞めてしまった。とうとう都会の放浪児(tramper)となる。 下宿を追い出された亀三郎は、横浜/名古屋/神戸を転々とする。当時開通した東海道線を利用したのだろうか…職…

実りの秋近し

船尾の田圃へゆく、この辺は昔、海(湖水)だった 佐倉の方から花嫁さんが舟で輿入れしたとか… 宗像神社が数か所あるのは船で伝来したのか 途中の大橋で鷺が2羽小川の魚を捕っている 8月の終わりで25度は少し寒いが、季節は実りの時期を迎えている 柿、…

「トランパーの雄」出版まであと141日(村井保固伝2)

村井は安政元年吉田藩士の次男坊として成長、宇和島の英語私塾から広島、松山と遊学した。だが若い身空の遊びたい盛りである、道後温泉で放蕩、養家先村井家の金録公債を使い果たした。亀さんの先輩もトコトン遊びほうけた、ご同慶の至りである。自由闊達な…

祭りが終わって

近隣の夏祭り、土日が土1日開催となる 少子高齢化が進んでいる 千葉ニュー東部は開拓が進み物流センターや 大型店舗が進出、だんだん建物が増えてきた 花の丘公園も夏休み終盤でさびしい 今日は麻雀部でお遊び、半荘3回4卓立つ いい暇つぶしだあ〜 一句 …

「トランパーの雄」出版まであと143日(村井保固伝1)

ブログ主は、うん十年前、「村井幼稚園」に通った。わずか1年間だったがその頃は村井保固については何も知らなかった。「吉田三傑」の一人で地元では著名人である。過日、業界紙にエッセイを出した。 …「吉田三傑」に村井保固という、飛行機のない時代、太平…

「トランパーの雄」出版まであと145日(亀三郎の親不孝)

亀三郎出郷して5年目にして初めて帰省する。穂積大先輩から8円を借金してまでの用事は(司法試験に受かるために後2年仕送りしてくれ!)との直談判だった。 後年、亀三郎は自伝で語っているが「帰京してすぐ半分の4円を穂積先生にお返ししたが、その後残…

「トランパーの雄」出版まであと146日(浅草界隈)

明治17、8年頃の東京は浅草たんぼが埋め立てられ、浅草六区が誕生、花やしき、仲見世など日本一の繁華街となっていた。蕎麦屋の老舗「薮そば」「まつや」が創業している。 鉄道は上野/熊谷/宇都宮まで開通、上野駅は東北の玄関口で発展する。品川線の品川/渋…

夏模様

ブログを二つ持つとhttp://d.hatena.ne.jp/oogatasen+tramper-6343/時間があっという間に過ぎる 今日も残暑厳しい折ではあるが、動画を撮りに花の丘公園へ… さすがに人がいない、ベンチで仮眠するが貸切状態で気持ちいいス *** 午前零時だというのにまた…

「トランパーの雄」出版まであと147日(明治法律学校に入るが…)

明治17年の冬、亀三郎は東京の番町にあった明治法律学校の分校に入った。この学校は現在の明治大学である。 校長は元老の西園寺公爵で、当時公爵はオーストリア公使として海外にいた。 岸本辰雄校長代理以下の先生はフランスから来ていたボアソナードという…

「トランパーの雄」出版まであと148日(亀三郎いよいよ上京 )

亀三郎は京都の小学校を1年半ほどで辞めた。 このままではうだつが上がらないと言って 飛び出した。2回目の転身であるが、もう一度勉学に励むため東京を目指した。 末は博士か大臣か、と青雲の志は忘れていなかった。当時は鉄道は開通していなかったので …

「トランパーの雄」出版まであと150日(亀三郎のインテリジェンス)

亀三郎は京都に落ち着き、小学校代行教員の職を得る。 亀三郎の部下、木村一郎が自伝『足跡』で〝亀三郎のインテリジェンス″と題して「山下は16歳で伊予の実家を飛び出し、先ず京都に落付いて1年半程小学校で教鞭を取っている。その小川小学校は今もそこにあ…

夏の朝の散歩

(散歩コースの映像と走るおっさん)トンネルの向こうは十余一公園 MY マンション 隣のマンション 岩と池 近くのDon Quixote 花の丘公園 ひょうたんと池 蝉を背に走る男 一句 背を蝉に瓢箪せかるる滝の川

「トランパーの雄」出版まであと152日(亀三郎の決心)

亀三郎の生まれた河内村(その後、喜佐方)から吉田町までは細い道である。当然車はない時代で途中に道で、馬や牛に出くわすと 田の畔か、畑にそれを避けなければならなかった。宇和島市へは3里ある、約12キロの距離である。 昭和15年頃の話、吉田町の農村は…

花の丘公園 夕景

盆も終わり、6時過ぎには陽も落ち夕景がやたら寂しげ 人のいないベンチでゴロリ、Iポッドでjazzをシャックルし ご満悦だあ〜演歌もいいがjazzもいい ¥100ブラックアイスコーヒー+シガレットでほんのひと時を過ごす (autumn in new york) 哀愁を帯びた…

「トランパーの雄」 出版まであと153日(亀三郎15歳)

「海運王」と呼ばれた山下亀三郎が出郷した明治15年はどんな年だったのだろう。 旧100円札と髭で有名な「板垣退助」が暴漢に襲撃され「板垣死すとも自由は死せず」という セリフが流行った。その頃は各地で襲撃事件があったそうだ。自由民権運動という議会政…

「トランパーの雄」 出版まであと154日(宇和島の偉人)

伊達10万石から著名人が多く輩出されているのは何故だろうか? 400年前に入部した伊達家が大いに関係していると思う。 藩の教育方針とか、先進的な考えを持った藩主がいたせいではないか。 特に幕末の4賢侯といわれた伊達宗城のもとで育った俊才が多く世に…

百日紅

さるすべりがいたるところでさいている きょうはかぜがすずしいかいてきだあ〜 おぼんでこうえんもひとがすくない あすはひさびさにぐらんどごるふだあ いっく どようなみきせつのかわりははのかお 【旅情】6年前にアップして37,519回閲覧された。涼しい気分…

「トランパーの雄」 出版まであと155日(宇和島伊達400年祭)

秀宗は大坂冬の陣の戦功で徳川忠康公から宇和島10万石を拝領された。もう400年も前のこと。 秀宗は人質暮らしが永かった、秀吉時代は秀頼の遊び相手、徳川の世になり今後は家康の人質となった。昔の友は今日の敵、秀頼を討つ側に回るとは… 親・政宗の政略で…

朝顔と蝉

朝顔市のアサガオが咲く 昨年の団十郎朝顔は海老茶色で涼しげ 今年も送られてきたが青と白で爽やか べランダの前で蝉が鳴く アブラゼミか、ミンミンゼミか朝になると 木によって数匹が一斉に鳴く お盆になって今年の夏もそろそろ終わりか… 一句 蝉が鳴き送り…

「トランパーの雄」 出版まであと157日(伊達藩)

今は昔、3万石の…誰かの句か?伊予吉田は伊達家が治めた陣屋町である。 宇和島伊達家10万石から3万石を分知された。 (お、お放し下され梶川殿…その時吉田藩主・伊達左京亮は院使饗応役だった) これは刃傷松の廊下事件だが、わが藩も係っていた。 吉田…

ブルーベリー狩り

今年も梨農家がやっているブルーベリー園へ行く 今年の梨は7月の長雨で生りが悪いとか ブルーベリーは食べながら収穫する wifeは丁寧にとるがB主は面倒くさいので適当 カブトムシが網に引っ掛かっていた 隣は大豆畑とナシ園 白井市だけにシロッシーか… **…

「トランパーの雄」 出版まであと158日(伊予吉田)

ブログ主は古い呼び名の伊予吉田出身である。吉田町は隣町宇和島市と合併した。(駅名の〝次は伊予吉田〜″いい響きである) 吉田町はミカンと漁業の町で他に大きな産業がない。 昔は3万石の城下町で実家があった本町筋は大いに栄えた。しかし全国どこも同じ…

ブログ「トランパーMIYA2015」開設 2個目のブログ

真面目なブログを開設しました 趣味のブログ「MIYA-BLOG2014」と同様によろしく http://d.hatena.ne.jp/oogatasen/本ブログは執筆中の「トランパーの雄」副題「伊予吉田の海運偉人伝」 の前宣伝として、海運王と呼ばれた山下亀三郎のストーリーを紹介する。…

蝉しぐれ

梅雨が明けてずーっと暑い しかしもう、ツクツクボウシが鳴き始めた 朝顔がいっぱいに咲いている 団十郎朝顔の海老茶色が涼しげだ 執筆本「トランパーの雄」が出来上がった 来年の新春には出版予定だ 第2ブログ「トランパーMIYA2015」を見てください http:/…

炎天下

35度以上の猛暑日がいつまで続くのか? 5日にゴルフ、やや風があって助かったが 後半はバテタ、108の煩悩を払った (オネストジョン100でぴったり情けなや) 甲子園が始まりクーラーかけ観戦、夕方散歩 大型台風が遠方にあり、その影響か?関東は酷…

ブログ復活 夏模様

息子が帰省しPCウイルス退治! やっと治った… またブログ再開する しかし毎日多忙、執筆活動、老人会活動、散歩、図書館ETC ブログが続くか? 今日の花の丘散歩は夕方、でも暑い暑い 一句 演歌聞き歩く背中に蝉しぐれ