2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

がいな男 (33) 竹馬の友死す

がいな男の親友、清家吉次郎の葬儀は3月2日吉田中学校で行われた。霊壇の中央にはその位牌(清涼院淡然明快居士)を安置し、伊達侯爵、鈴木政友会総裁、山下亀三郎氏から贈られた花輪の類がその左右を埋め尽した。参列者はー戸愛媛縣知事、山下亀三郎氏など4…

がいな男 32  5.15事件が勃発

海軍青年将校らが犬養毅総理を襲ったクーデター5.15事件は、軍部の政党政治への反発だった。「吉田三傑」の村井保固は、犬養毅や尾崎行雄らと慶応義塾の学友だった。村井が、ニューヨークタイムズで犬養の訃報を知ったのは、またしても株式相場で大穴を空け…

がいな男  31  軍部の横暴期

がいな男は「人たらし」の術を永年の体験で身につけていた。料亭接待のほかに、神戸/東京の出張の時にも、東海道線の一等展望車に陣取り、酒を飲みながら政財界人と歓談し情報を仕入れた。 日銀総裁の井上準之助とも列車に揺られながら杯を重ねたのであろう…

がいな男  30 満州事変勃発

がいな男は、田中らの離反で社員が手薄になったので、優秀な大学生を募集した。東京帝大から三人、京都帝大、早稲田大、大阪商大から一人ずつ採用し、入社したその日からどんどん仕事をさせた。新入社員は連日残業続きで、夜食にうどんばかり食べていた。 そ…

がいな男  29  部下の離反

がいな男に、がいな事が起こった。部下の田中正之輔ら20数名が辞表を提出したのだ。ブロガーの恩人「浜田喜佐雄」もインテリの田中に付いて行った。浜田は、がいな男と同郷でボスを頼りに16歳の時に山下汽船へ入社。店童から叩き上げて28歳の営業マンになっ…

がいな男 28 昭和恐慌

昭和元年は一週間で終わったが、日本経済は大正9年の大反動から続く慢性的な不況から取付け騒ぎなど金融不安が続く中で、関東大震災が発生し、震災手形の絡んだ不良債権の存在が不安をあおった。鈴木商店は台湾銀行からの融資が止まり関連会社は清算され、イ…

がいな男 27 台湾航路撤退

がいな男は、『沈みつ浮きつ』で〝海外旅行の事″と題して口述している。 最初に海外に行ったのは明治39年のことで、新喜楽の女将おきんと韓国統監府の伊藤博文公を表敬訪問した。がいな男は、親戚の古谷久久綱が伊藤公爵の秘書官だったので公爵には屡々お目…

がいな男  26 関東大震災

関東大震災の死者は10万人強だったが、その8割が焼死だったという。二百十日のこの日は台風が日本海に抜け、関東はフェーン現象で強風が吹いていた。このため木造家屋の多い下町が全焼した。 がいな男が心酔する渋澤栄一と後藤新平の大震災に関するエピソー…