2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

吉田三傑「村井保固傳」を読む 15

第一の渡米 (2) 村井は紐育の店から渡米の際には、米国富豪の家庭で珍しがられた日本の抻を、4、5頭携へて來るやう云われていた。1頭百円の価値があり4、5頭も持參すれば百円以上の運賃を償って余りある。しかし村井は性来嫌ひな動物を然も三等客として携…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 14

第一の渡米 (1)明治12年9月2日、この日は村井が83年の生涯に太平洋横斷90回と云ふ専門の海員なら兎も角素人としては珍らしいレコードを作つた抑もの皮切りである。 時に年26歳、乘船はシチー、オブ、トウキャウ號で約2,500噸である。今の17,000噸級の豪華…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 13

森村市左衛門の興した「森村組」は市左衛門一人の力で大成したものではない。同志の大倉、広瀬、村井の三傑がブレーンとして左右に控えていたからである。 大倉孫兵衛は伊勢松坂の出で、市左衛門の妹を娶った。大倉は本業の絵草紙や書店を身内に任せ、義兄森…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 12

森村組入り 明治11年12月27日付の卒業証書を授与され、茲に村井の学生生活は終わりを告げた。 村井保固が政治家、官僚への道を止めて実業家になろうと、森村組へ入った事情、経緯等は、ブログ本「吉田三傑2017」で詳しく書いたので、省略する。森村市左衛門 …

涼風に散歩す

今週はラジオ体操に子供見守りで参加 Ho会の人多し、我がマンションの子供はいない 入居24年目で少子高齢化が進む 涼しい風に誘われて久々に花の丘まで散歩 山羊農園から農家庭の茄子、胡瓜畑、青柿の傍の山芋か里芋か 葉も豊かに育っているぞな、調整池に…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 11

商売人志願明治11年秋、卒業に間もないころ、村井は『町人七分乞食』という題で演説した。 要するに、世人は士農工商で町人を最下級に於いているが、西洋では政治法律など社会の中心は商業である。今の商人は無知文盲で眼前の小利益ばかり考えている、吾々新…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 10

福澤先生に難問提出 一日村井は思案に余ったか、福澤先生の前に出て思い切って奇問を試みる。『先生私は意志薄弱で自分ながら持て余しております。もう断然遊びに行くまいと思つて居っても、日が經つと又行きたくなります。悪いと知りつつその悪事が止められ…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 9

東京遊学既に東京遊学のお許しが出た。立つ鳥跡を濁さずとか、先づ松山に帰って名誉を回復すべく英学校に引きかし規定の課目を卒へて先輩や友人から送別会さえ開かれ、愈々東上の途に就くこととなつた。 去るに臨んで村井は県令岩村高俊を訪ひ、東京遊學のこ…

暑い暑い

田舎はかつてない豪雨に見舞われた 遠く離れた此の地では早急な復旧を 祈るしか手がない 関東の早い梅雨明け、連日続いた強風に只ならぬ気配を感じた *** 3連休は忙しかった 書道展を見に乃木坂に行き高校同窓会の打ち合わせで新橋 被災地にエールを送ろ…

吉田町に甚大な被害

この度の災害で亡くなられた方々にお悔やみ申し上げます。 被災された方々にはお見舞い申し上げます。 早急に復旧・復興されんことをお祈り申し上げます。7月9日、気象庁は今回の豪雨名称を「平成30年7月豪雨」と発表した。 吉田三傑の郷土、宇和島市吉田…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 8

道後へ脱線 適々草間校長は新聞の寄稿が祟って禁獄處分に附せられ、校長代理として三輪肅齋と云ふ青年が來た。村井には助教として月手当10円を支給される。国許から送つて來る学資と合わせて懐中は温くなり、心に弛みを生じたところへ独身の三輪校長と意気投…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 7

英語勉強に英学校入学 不棄英学校には東京の慶応義塾出身である中上川彦次觔が、75円の月給を取り新知誠の先生として同々と威容を張つて居る。若い中上川は覇気に富み颯爽たる風貌からしてそぞろに年少子弟の大志を唆るものがある。 『自分は何時までも地方…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 6

村井家へ養子 その頃、三治は同藩の村井林太夫の未亡人光女の所へ養子にと相談があつた。先方は相当家計の餘裕もあり三治に学問勉強をせることも出來ると云ふ。 それならと本人も異存がない。未亡人の姪との縁談話には条件を付けないということで、養子縁組…

吉田三傑「村井保固傳」を読む 5

大信寺の飯炊き 憐れ三治は16歳の春、立間尻の大信寺に飯炊き男として住み込むことになった。 和尚の深譽上人は近郷に聞こえた名僧であり奇僧である。 雨が降った後に、小僧覚運や三治と庭や畑の草を採る際、被った笠に「つんぼ」と大書して道を通る檀家の人…

文月の夕景

毎日、暑い、風が止まない 今日も寝れないのはサッカー熱気 露西亜も熱いらしい 花の丘公園は夕方散歩が涼しくていいのだあ 2時間は歩いた、帰って風呂とビールだあ 久々のMovieだあ一句 向日葵と山羊の農カフェ夏模様

吉田三傑「村井保固傳」を読む 4

熊崎家へ奉公 三治は12歳まで玉田の許で勉強に励んだが、家計の苦しいのは分かっている。そこで父母の荷を軽くするため奉公の道を考え、菩提寺の海蔵寺の和尚に奉公口を頼んだ。 和尚の口添えで藩の家老熊崎家に住み込みで奉公するようになったのが13歳の2月…