2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧
明治の実業家・渋沢栄一、大倉喜八郎の両雄は、国家発展のために多くの起業家を育て、多くの株式会社を創出した。がいな男はその起業家の一人だが、経験の浅い成り上がり者だった。小樽木材会社、韓国倉庫会社に勢いのまま投資した。渋沢、大倉の大物と共に…
明治39年夏、がいな男は「新喜楽」の女将おきんと一緒に、朝鮮総監の伊藤博文公を表敬訪問した。おきんは、横浜の富貴楼お倉のもとで修業し、東京築地に新喜楽という料亭を出した。この店は、伊藤博文など大物政治家が贔屓にして繁盛していた。 朝鮮に渡る前…
がいな男は、自伝『沈みつ浮きつ』の(船を持った動機)の項で、一世一代の英断を語っている。 ーー門司にいた亀三郎は、東京からの至急電報で喜佐方丸に御用船の命令が下ったことを知った。 しかし船は、石炭を積んで上海に向けて出航の寸前だった。このま…
亀三郎は自伝『沈みつ浮きつ』で児島惟謙のことを〝実に気迫の人であった”と語り、徳富蘇峰は(児島翁は真に硬骨男児である)と評した。 ーー児島惟謙は明治28年5月、貴族院議員に任ぜられた。これは、伊藤博文総理が参内した折、明治天皇から児島についてご…