2021-01-01から1年間の記事一覧

住田海事奨励賞を受賞

今年4月18日付ブログに掲載した『日本の海のレジェンドたち』(海文堂出版)が、第53 回「住田海事賞三賞」の住田海事奨励賞を受賞しました。 住田三賞というのは、一般社団法人日本海運集会所が管理運営するもので、海事文化の発展に寄与した住田正一氏を記…

西国の伊達騒動 23(完)

高輪 東禅寺を訪ねて 11月5日、伊予吉田藩・歴代藩主の墓がある港区高輪の「東禅寺」を訪れた。 コロナ感染も激減し、ブログ「西国の伊達騒動」の締めに久しぶり東京へ出かけた。昨年開業した新駅「高輪ゲートウェイ駅」で降り、第一京浜を渡って桂坂、洞坂…

西国の伊達騒動 22

吉田藩紙騒動 (15) (最終回) 六代伊達村芳お国入り 寛政五年の山奥組を発端とした百姓一揆は、宇和島藩の八幡河原に集結するという騒ぎに発展した。家老安藤義太夫は、一揆を鎮めるため河原で自刃した。やがて農民らは歎願書を出し、概ね願いが叶い百…

西国の伊達騒動 21

吉田藩紙騒動 (14) 一揆の頭取たちを逮捕 吉田藩の領民が帰村した後、二月二十三日、代官たちは各村で、八幡河原で申し渡した十一か条に加え、具体化した内容の十二か条を言い渡した。 代官らはこの申し渡しに村浦を回り、漸く二十六日に陣屋へ帰ってき…

西国の伊達騒動 20

吉田藩紙騒動 (13) 歎願書が出て帰村する 家老安藤の切腹は、一揆勢の知るところとなった。潔い死に一揆の闘争心が失われ、百姓の中には、「なんと天晴な武士」と感涙する者も現れた。 十五日になって、やっと一揆のリーダーたちは、家老の自刃にショッ…

西国の伊達騒動 19

吉田藩紙騒動 (12)安藤義太夫の切腹 山奥組や川筋の連中は、九日夜の出立から四日目となり疲労困ぱいの様子だった。 武左衛門は、山奥、川筋の楮・紙すき農民の願書を出しているので、あとは三間郷、吉田郷の百姓衆の出番と考えていた。 八幡河原には、…

西国の伊達騒動 18

吉田藩紙騒動 (11)八幡河原へ集結 二月十二日、ついに百姓一揆の群れは、宇和島藩領に流れ込んだ。 三間に来ていた目付の久徳半左衛門は、この事態に急いで吉田藩陣屋へ帰った。 郡奉行・小嶋源太夫は、中見の沢田儀右衛門を従え宇和島へ向かった。その…

西国の伊達騒動 17

吉田藩紙騒動 (10) 一揆勢が宇和島へ 宮野下村に集結した一揆勢のリーダーは、吉田郷や浦方へ誘い出しのため仲間を十人ほど走らせた。 吉田藩お膝元の立間村、喜佐方村、立間尻や浦方の俵津浦(現明浜町)、白浦、南君、浅川、鶴間などの百姓衆や漁民ら…

西国の伊達騒動 16

吉田藩紙騒動 (9)一揆のゆくえ (ブログ、「西国の伊達騒動」吉田藩紙騒動を再開する) 2020年4月から中断していたブログを始めます。伊予吉田藩百姓一揆の勃発からその後のストーリーを創作するのに随分と時間がかかりました。2019年11月の頸椎の手術、…

ブログ再開 『日本の海のレジェンドたち』

1年ぶりのブログです。 この期間中に『日本の海のレジェンドたち』という本で、トランパー「山下亀三郎」の評伝を書きました。一般財団法人山縣記念財団の創立80周年記念出版で海事産業に貢献した先人たちの評伝集です。 山縣記念財団は1940年に辰馬汽船の援…