2017-01-01から1年間の記事一覧

台風の来る前に

ゴミ出しの後、散歩するが蒸し暑い 毎年いつもの所で蝉が群がる もう何年同じことをやっているのか 高齢者はカメラ持って炎天下歩く さすがに暑くコンビニに入り涼をとる 図書館、マンション周りの百日紅、この辺はサルスベリが多い しかし台風5は超スロー…

8月 涼しい

梅雨明け後は何故か夏らしくない 戻り梅雨のように曇天が続く 今日は特に涼しい 朝起きるとアサガオを観るのが日課となる 今日は朝からHO会暑気払いMJ大会 BBだった 自作本を贈ったが5人から謝礼の電話メールが来た 一句 盆に見る我が故郷の偉人伝

ラジオ体操

朝霧に誘われて外に出る ラジオ体操を十余一公園でやっている 20人程の子供、HO会も参加している セミが鳴きだした、抜け殻を撮る ぐるっと一回り1時間散歩す 一句 空蝉を集めて映す禄寿八 (空蝉に残る戦士の面構へ 笠原千佳句 俳句カレンダーより)

暑い暑い

夕方散歩する 空は何だか秋の気配か ヒグラシが鳴き始めた 毎日暑いが空梅雨で雨が恋しい だが豪雨のところは大変だ 夏休みになり、甲子園が始まり まだまだ暑い日が続く 一句 想い出のアイスキャンディ草野球

夏祭り

HO会は近くのマンション祭りを応援 バンド演奏、フラダンス、太鼓、盆踊り 夜店など20年程続いている 力仕事が出来なくなり、wife同伴 もっぱら団扇を扇ぐことぐらい一句 いかがせんビール片手に盆踊り

七夕

朝起きると、ベランダにアサガオが咲いていた 熱帯夜の日が続くが、九州では記録的な豪雨 関東はダムが干上がる 今年の夏は暑いそうだ 金魚が3匹死んだ、暑さのせいか 昨日はHO会GG七夕大会 皆元気なものだ、ランチを食べカラオケへ一句 アサガオが二輪…

村井保固翁 最期のこと (吉田三傑2017最終章)

『凡ての者の僕』山室軍平編 昭12年救世軍出版 これは昭和12年日本救世軍の年報で、巻頭に前年亡くなった軍の最も理解ある支持者・村井保固翁のことが書かれている。 大要を掲載して村井保固伝の最終回とする。(得難き知己又恩人)救世軍中将 山室軍平 慶應…

NHK連ドラ「あさが来た」の広岡浅子と村井保固夫妻

日本で初めての女子大の創設は明治34年(1901)「日本女子大学」で、女性実業家・広岡浅子の尽力によるものである。評議員に森村市左衛門、大隈重信、西園寺公望ら錚々たる名士の名がある。広岡浅子と森村市左衛門は晩年に受洗してクリスチャンとなる。 大正…

森村市左衛門と村井保固の社会貢献 (企業フィランスロピー)

2003年東洋大学出版「経営論集」中村久人氏の論文の中で(もう一つの企業フィランスロピー) と題し森村、村井の社会貢献を取上げているので引用させて頂く。(出典:国会図書館デジタルコレクション) ……フィランスロピーとは何かについては、現在必ずしも統…

水無月 雨の無いつゆ

月曜日は何も予定なし ゴミ出しのあと、散策 HOテニス部が5人で練習、昔は15人程いたらしい、 十余一の池で一休み、ああ、風が気持ちいい 亀の甲羅干し、鯉、スイレン、鵯鳥か「ギーギ―」声悪し、 CNT駅まで歩くが、かなり暑くなったのでコンビニ珈琲で…

森村市左衛門と村井保固 (森村と村井、ただ一度の大衝突)

明治15年頃の話である。『森村市左衛門の無欲の生涯』砂川幸雄著によると、村井は市左衛門の弟、豊氏に「店を大きくするには大量販売しかない、小売りをやめて卸専門にしようじゃありませんか」と提案したが、豊氏は「小売りは現金が入るし利益率のよい、…

村井保固伝  財界巨頭伝:立志奮闘 7

五十年間一貫の處世方針氏は米國の貿易界に乗り出してから、五十ケ年になり、その間太平洋を横断したこと八十有六回に及んで居るが、其過去五十年間の貿易生活に於いて、氏はドウ去ふ處世の方針で進み来つたか。又その間如何なる体験をやったかと云ふに氏は…

梅雨の晴れ間

SBカントリーを抜け、森の中のOSRKレストランへ行く、テラスもあり、身障者が忙しく働く店 ピザ、パスタを食す、最近客が増えている、客層はおばちゃん達、幼児連れの若き母、独りグルメなどなど 店の周りの木々、花が一杯、庭の端でプカリ一服 帰りは…

村井保固伝  財界巨頭伝:立志奮闘 6

給料よりは利益配分 紐育の店で三年間やって居るうちに、森村市左衛門さんが、明治十五年に大博覧會が、仏国巴里に開催さるると言うので、豊さんと一所に見物に行って、紐育の店に帰って来られた。 さうして豊さんの居らるる前で、氏に向つて『給料を上げや…

浅草/銀座/新橋 & 今朝の散歩

金曜は忙しかった 田舎の同級生が浅草で舞踊大会に出演wifeと出掛ける、宮川流家元は88歳で元気だ その後銀座に出て本の揮毫者の書を見に行く、偶然、2年前海ビルの店を閉めた店主と再会 夕方は新橋で飲み会、久しぶりの店も気さくな老ママが頑張っている *…

村井保固伝  財界巨頭伝:立志奮闘 5

洋行の船中て泣くかうしていよいよ明治十二年の九月二日と云ふに、米国の店に向けて横濱を出発することとなった。船はシチーオブ・トウキョと称し、二千五百噸の蒸汽船であった。船室は特別三等で、支那人と一所であったから、臭気紛々鼻をついた。しかし食…

村井保固伝  財界巨頭伝:立志奮闘 4

森村翁の求むるは店の宝氏は先生から叱られて、成程これでは可かぬ。改めなければならぬと、翻然として悟ったものの、来て偖てこの儘空しく引き下がって、如何にも残念である。折角のチャンスを無残々々失ふのは、如何にも遺憾千寓だ何んとか妙法がないかと…

村井保固伝  財界巨頭伝:立志奮闘 3

福澤先生に就職依頼 尚、氏は先生に向かって『我々は舊式の商人を撲滅して、其れに取って代はらなければならぬ。それにしては、我々は算盤を習わねばならぬ。我々が和算が出来ないやうでは、第一お店の小僧に打ち勝てない』かう言って、気焔を揚げると、先生…

村井保固伝  財界巨頭伝:立志奮闘 2

(同窓生と政治運動を試む) ところが学校に入学してみると、自分の理想通りではない。生徒の顔つきから角帯を締めてダラリとしておる様子が、曾ては戦争でもやろうと迄思った自分の頭には如何にも女々しく映じた。心外でたまらないので演説会で一つ攻撃して…

永良部百合が咲いた

毎年今頃、入梅時期に決まって咲くエラブユリ 満月を背景に撮る 早くもブルーベリーの実二つが熟れた、甘酸っぱい ベランダはアサガオの蔓も伸び初夏もよう きょうは運動公園でGG練習日、帰りに蕎麦屋による 80代、70代、60代の老gg、話す内容は… 昔はみ…

村井保固伝  財界巨頭伝:立志奮闘 1

昭和5年11月29日、実業之日本社から発行されたタイトル『財界巨頭伝』に 「八十六囘太平洋を膻斷して貿易界に奮鬪した森村組相談役 村井保固氏奮鬪傳」 という題で20ページにわたって記載がある。本の保護期間満了でインターネットに公開されているので一部…

村井保固伝 「全力主義の村井保固氏」より 2

熱誠の勝利 それから米国へ行つて貰った年である。紐育の店では貧乏なために年末の賞与を店員に與ふることが出來ない。これは未だに一つの話にされて居ることだが、弟が一策を案じて、十二月一日から銘々の売り上げ高をしらべて、その売り上げの何分をお歳暮…

村井保固伝 「全力主義の村井保固氏」より 1

一昨年の秋、名古屋に行った。S38度卒吉田中学同級生が「大須観音」の近くに料理店を出しているので、其処に級友7名が集まった。翌日は、村井保固が創業の一役を担ったノリタケカンパニーの「ノリタケの森」を見学。工場跡の赤煉瓦が迎えてくれた。 ウエル…

バラからアジサイへ

6月に入ってバラが終わり紫陽花の季節 花の丘は閑散、独りウオーキング、風強し 朝、知人から電話、野菜を貰いに行く ソラマメ、スナップエンドウ、ブロッコリーなど頂く ビールのつまみに👍 一句 空豆に麦酒飲み干す禄寿八 ] ]

村井保固伝 (はじめに)

この度、ブログタイトルを「トランパーMIYA2015」「宮本しげるトランパー」に続き3回目の改名「吉田三傑2017」とした。 当初は自書「トランパー」の宣伝のためにブログを立ち上げたが、我が故郷には「吉田三傑」と称し、山下亀三郎、清家吉次郎、村井保固の…

『無逸清家吉次郎伝』追想編

本ブログで長らく続いた無逸伝もエピソードを数点掲載し終了する。酒在京愛媛縣人の有志が議会開会中に縣出身の代議士を招待し慰勞の莊を張つた。芿家氏は會場で相當飲み、それから又二次會だと云ふので、村松恒一觔氏と宇都宮政市氏と三人で飲んで、陶然と…

『無逸清家吉次郎伝』終焉編 遺徳を語る五箇町村合同葬

清家氏の葬儀は三月ニ日午後一時から、氏が此世に遺した形見の一つである吉田中學校に於て行はれた。吉田町外五箇町村の合葬といふことであった。 式場に定められた校庭はすっかり掃き清められ、靈壇の中央にはその位牌(清涼院淡然明快居士)を安置し、伊達侯…

『無逸清家吉次郎伝』終焉編 發病から逝去まで

芿家氏の發病は昭和八年九月末顷からであったらしい。當時左鎖骨上窩部の淋巴腺腫脹があり、胃の工合も惡いといふことだったので、診察した吉田病院長伊東一生氏は直に胃癌の轉移であらうと考へた。由來胃癌にして銷骨上窩部に淋巴腺轉移を生ずる時は、これ…

鶯谷渡り エラブユリ

浦幡の池で鶯の鳴き声を収録 毎年、此処では鶯の声が聞こえる 春も終わり、そろそろ入梅か マンションに3、4年前植えたエラブユリが いつの間にか群生した ガーデニング倶楽部の手入れが行届いている 6月の初めには1茎に多くの花が咲き誇る 三句 鶯の姿見…

『無逸清家吉次郎伝』逸話編 堺枯川を煙に卷く

「歐米獨斷」の旅から歸って間も無い頃の話である。 別府から大阪に向ふべく、紅丸に乘つて甲板に上つて見ると、チェアーに腰を下して瀬戸内海の風景に見入ってゐる老人があつた。一等船客にしては田舍臭いなりをしてゐるので、芿家氏は何處かの豪農位に考へ…