村井保固伝 「全力主義の村井保固氏」より 2

  熱誠の勝利 それから米国へ行つて貰った年である。紐育の店では貧乏なために年末の賞与を店員に與ふることが出來ない。これは未だに一つの話にされて居ることだが、弟が一策を案じて、十二月一日から銘々の売り上げ高をしらべて、その売り上げの何分をお歳暮にやるといふことにした。だから店の人々は皆競争して売りにかかつた。村井さんも矢張りその中の一人であったが、何分渡米して間もないことだから話が十分に出來ない。読んだり書いたりはなかなか達者であつたが、話の甘く出來ないには閉口した。併し負けず嫌いの村井さんから、口で話せなければ手で話してやらうと頻りに手真似をやる、その手つきが面白いものだから自然客がつく、そして笑いながら値をつける、値切り出す客がある。すると村井さんは「I can not understand you」一点張りで押し通すものだから、客はいつも笑いながら言い値で買って行く。二弗三弗高くも安くも構わん貴婦人達だから、つい之が評判になってお客がまた友人を連れてくるという風である。村井さんは笑われても構わず一心不乱にやっておる。これがまた正直者だということになって結局皆の売上げ高を勘定して見たところ、亜米利加人の店員を売越して、村井さんが二番であったということである。
「自分のやうな不器用なものは迚も商人にはなれないかも知らんが、一生懸命にやりさへすれば自分自身はなれなくとも息子の代にはなれるだらうと考へた。」と村井さんは今でも言って居られる。このやうな大精神があつたからこそ、今日の如き立派な商人となられたのである。商売は實に方法でない。熱誠である。

  村井氏の「服従と獨立心」
 村井さんが嘗て店の若い人達を集めて、服従の精神と獨立心との関係について面白い話をされた事がある。實に立派な話であるから、また茲にこれを紹介する。
元來日本の一人々々は立派らしく見えるが、大勢の寄合となると、その力が減じて來る。一人の力を一貫として五人の寄合は七八貫目の力を有すべきであるが、日本人は反対に五人の力もない位に減じる。会社又は政府などの大なる集合程益々此様な奇態な現象があるに引換えて、西洋人の一人々々は一向感じないが、これが多数集まると非常に有力なものとなり、善き結果を示すことが普通となつて居る。これは昔からの習慣でもあらうが、日本人の大に學ぶべき點ではないかと思う。
先年コンスルガネラルのミラー君と会談した時に、同氏が日本人の欠点と感じた事を卸世辞なしに聞かして呉れた。日本人の製造所は何處を見ても、不規則、不整理で秩序が無く完全な仕組が出来て居ない。然らば日本人は秩序を立てることが出来ない国民かといふに決してさうではない。軍隊を見るとその規律秩序が整然として實に感嘆に堪えないに拘わらず商工業に限り、何故にかくの如き有様であろうかと疑って居るといふ話であつた。
秩序がないといふのは、吾々の精神に服従の美徳が欠乏して居ることである。軍隊に秩序あるのは服従の精神が隅から隅まで、行渡って居るからであって、この精神がなければ、全軍の一致が六ヶしいと同じく、団体が利益を得ようと思うならば、その仕事に重きを置き、仕事の命令に服従することが大切である。服従は決して獨立心を傷けるものではない。服従とは、人に屈服するに非ず、主義に服従するのであつて、服従ありてこそ眞の独立が出來るのである。仕事の規律順序を正しく、我儘を抑へ、団体に服従するところの精神が団体の利益を増進するのであるから、吾々はあくまでもこの精神を養うて行きたいものである。
 と、男爵森村市左衛門が著した「奮闘主義」の第七編―奮闘的人物―に記されている。