森村市左衛門と村井保固の社会貢献 (企業フィランスロピー)

2003年東洋大学出版「経営論集」中村久人氏の論文の中で(もう一つの企業フィランスロピー)
と題し森村、村井の社会貢献を取上げているので引用させて頂く。(出典:国会図書館デジタルコレクション)

 ……フィランスロピーとは何かについては、現在必ずしも統一された定義が存在するわけではないが、(財)公益法人協会刊行の『公益法人用語辞典』によれば、「フィランスロピーとは、ギリシャ語のphilein(愛する)とanthropos(人類)とを語源とするギリシャ語“philanthropia”(人を愛する)の英語で、博愛、慈善を意味するが、現代ではより広く個人や団体が、教育、研究、医療、福祉、環境保全、芸術などのために寄付金を拠出したり、ボランティアの奉仕活動をしたりする非営利の社会貢献活動のことをいう」と定義されている。(中略)
2)クリスチャン事業家のフィランスロピー
 倉敷レイヨン(現・クラレ)の大原孫三郎はクリスチャン企業家のフィランスロピストとしてつとに有名であり、彼は「自分は天職としてこの財産を与えられたものである」と述べ、財産の多くをフィランスロピー活動に投じたのであった。彼も岡山孤児院の石井十次を全面的に支援している。
 また、森村商事(株)の森村市左衛門も、森村豊明会の創始者としてだけでなく幅広いフィランスロピー活動を展開している。森村の事業上の片腕であり、森村の影響でクリスチャンになった村井保固も、郷里の愛媛県吉田町に「村井保固愛郷会」を設立し、郷里の幼稚園、学校、教会、病院などに多大の支援を行っている。
 ライオン歯磨の創始者小林富次郎は、職工教育のためライオン夜学校を設立したり、また岡山孤児院の支援者でもあった。彼は歯磨小袋に慈善券をつけて発売し、これに基づいて全国の慈善団体に寄付を行った。これはおそらく現在のコーズ・リレーティッド・マーケティング(cause relatedmarketing)のはしりではなかろうか。(後略)……

***
森村市左衛門は、日米貿易で得た私財を惜しみなく、社会に寄進した。
慶應義塾大学早稲田大学などの諸大学や北里研究所などの研究機関への積極的な後援活動を実施し、日本女子大学校(現日本女子大学)設立に尽力した。社会に役立つ人づくりのために、自邸の庭に小学校と幼稚園を開設した。現在、其の学校群は森村学園となり、横浜の東急田園都市線つくし野駅」近く、森に囲まれたところにある。市左衛門人生訓の「正直・親切・勤勉」を校訓としている。出身者には黒澤明、緒方篤、安部譲二尾上菊五郎 (7代目)、一青窈など多くの著名人、文化・芸能人を輩出している。
森村は、明治34 年(1901 年)に「森村豊明会」を設立した。財団法人の先駆者で、命名は、若くして世を去った市左衛門の弟、豊と息子、明の名前をとったものである。アメリカのカーネギー協会が1902 年(明治35 年)、ロックフェラー財団が1913 年(大正2 年)の設立であるから、森村の財団組織は最も古い歴史がある。

 村井保固も郷土吉田町に、67歳の時、村井幼稚園を開設した。ブロガーは1年間ほど通園、殆ど記憶にないが、保固翁の銅像があったことを覚えている。現在は中学の同級生が園長や評議員になっている様だ。他にも旧吉田中学、吉田病院などに私財を投じ教育などへ多くの社会貢献を果たしている。
村井はクリスチャンとして「救世軍」に多大の支持をしている。森村の社会貢献にも参画し、至る所に個人として多額の寄付をしている。
 トランパー・山下亀三郎が起こした「山下汽船」と昭和39年に合併した「新日本汽船」のルーツ、13 代辰馬吉左衛門は100 万円を拠出して、財団法人辰馬学院を設立し甲陽中学校を支援した。辰馬は灘の酒造家であるが、海運業、金融業、不動産業にも進出、辰馬家中興の祖といわれた。「事業の利益は挙げて社会のために費消できれば、それで満足です」と述べており、西宮市に市民病院、運動場などの建設資金として200万円を寄付している。

明治時代に活躍した偉人の社会貢献は枚挙にいとまがないが、社会の為、国家の為に莫大な資産を寄付している。現代このような高邁な志を持つ人たちが中々現れないのは時代が違うのであろうか。

 (村井幼稚園・保固翁像 2015年5月ブロガー撮る)

 (吉田公民館 ポスター 同上)

 (安藤神社 石碑 保固翁書く)