『無逸清家吉次郎伝』逸話編 堺枯川を煙に卷く
「歐米獨斷」の旅から歸って間も無い頃の話である。
別府から大阪に向ふべく、紅丸に乘つて甲板に上つて見ると、チェアーに腰を下して瀬戸内海の風景に見入ってゐる老人があつた。一等船客にしては田舍臭いなりをしてゐるので、芿家氏は何處かの豪農位に考へたものらしい。尤も話相手などに頓著する芿家氏ではないから、盛にいろいろな話をはじめた。遂に話頭が社會主義に及んだ時、芿家氏は滔々とかぅいふ意見を述べた。
わたしは最近ロシァを見て來たが、一體あのざまくれは何だ。貧乏も金持も平等にして
共産政治を行ふのだと云つてゐながら、ロシアの百姓たちは皆苦んでゐるではないか。
わたしの意見はこれと反對に平等々々といふよりも、この社會から貧乏人を無くする政
治を執ってゆく事に努めればいいぢやないか、あなたは何う思ふか。
相手はにやにや老獪な微笑を湛へてゐるだけだつた。やがて二人は大阪で別れたが、しばらくたつて芿家氏の許に一通の手紙が舞込んだ。
先日は船中において失禮しました。よほど名乘りたく思ひましたが、尾行がうるさいの
でわざと名乘らずして別れました、私は堺利彦といふものです。私はあなたの御意見を
大變面白く拜聽しました。社會運動をするものが一等にをさまつて贅沢な奴と思はれる
でせうが、之も尾行をさけるための手段としてやむを得なかつたのです。
芿家氏はこの手紙によつて、自分が共産政治を罵倒して聞かした相手が、社會主義運動の長老たる堺枯川であることを知り、苦笑するより仕方が無かつた。がそれでも手紙は大切に保存して置いた。堺氏はこの會見記を「中央公論」に書いた中で、芿家氏のことをアメリカ漫畫のジグスに喩へてゐる。さう云へば芿家氏の顏はジグスの横顏にそつくりなところがある。
堺 利彦:(明治3年11月25日- 昭和8年1月23日)日本の社会主義者・思想家・歴史家・著述家・小説家、号は枯川。
ジグスはジョージ・マクナマスによるアメリカの4コマ漫画に登場、1923年の関東大震災後の《朝日新聞》に連載された漫画《親爺教育》・別名《ジグスとマギー》で大いに親しまれた。(ウキペディアより)