「トランパーの雄」出版まであと140日(tramperの終焉)

村井に紹介された大倉洋紙店は2年ほど勤めたが店員奉公ではうだつが上がらずと23年の秋に辞めてしまった。とうとう都会の放浪児(tramper)となる。
下宿を追い出された亀三郎は、横浜/名古屋/神戸を転々とする。当時開通した東海道線を利用したのだろうか…職を変え神戸では危険な仕事の沖仲士もやった。日雇い生活にピリオドを打って、横浜に舞い戻ったのは24年の夏であった。トランパー亀三郎は24歳、大日本帝国憲法が発布(M22)され日清戦争(M27)が始まるころ、本書に登場する渋沢栄一51歳、高橋是清37歳、吉田茂13歳であった。
横浜に帰った亀三郎は満俺(マンガン)鉱を扱う店で何とか職を得ることが出来た。栃木の山に入り馬に乗って採掘場を駆け巡る日々が続いたが、マンガンを横浜まで運んで船積みするまで立会い、海運の世界を知った。
店主池田文次郎は仕事ができる亀三郎を客の接待にしばしば料亭に連れて行った。亀さんは昔取った杵柄じゃないが芸の肥やしで育ったのでカッポレを踊り、場を盛り上げた。遊びにかけては超一流だった。
その頃、母方の親戚の古谷久綱が、京都同志社の中学科を終え大学科に進むための学資を借りに来た。
 −後年、古谷は政界の上層部にくい込み亀三郎に情報を提供することになるのだが…−
まだ、このころは金を貸す余裕がない、貸すことはできなかったが帰郷する古谷に母・敬に(飴でも舐めない)と5円の小遣いを託した。亀さんはやっと親孝行の真似事が出来たと感慨にふけるのだった。
その5円札を開けてみて母はどうしたか?
一句
横浜の桜花眺める馬と亀