「トランパーの雄」出版まであと147日(明治法律学校に入るが…)

明治17年の冬、亀三郎は東京の番町にあった明治法律学校の分校に入った。この学校は現在の明治大学である。
校長は元老の西園寺公爵で、当時公爵はオーストリア公使として海外にいた。
岸本辰雄校長代理以下の先生はフランスから来ていたボアソナードという人の弟子だった。
亀三郎は自伝でかくのごとく語っている。
(一年余り経ってから、西園寺公爵がオーストリアから帰朝されたときに、ちょうど花のころで飛鳥山で運動会を開いて西園寺校長の検閲を受けたが、その時に初めて西園寺公の顔をみた。実にすっとした品のいい顔で、御公家様というのはこういう顔をしておられるものかという事を思った。)
…しかしフランス語の授業は亀三郎にはきつかった。
下宿には5−6人の書生がいたが、秀才の中にも遊び人がいた。
亀三郎はある下宿人から「亀さん、吉原へいこう」と誘われた。学校には通っていたがほとんど授業に
実が入らなかった。結局お決まりのコース、吉原通いで田舎からの仕送りは湯水のごとく消えてなくなった。
それからの亀さんの運命は如何に??

【トランパー】
Tramperの訳語は放浪者、浮浪者。海運用語は「不定期船」のことをいう。
タクシーと同じで客のいうとおり何処へでも何時でも走る。船の不定期船はより良い荷物、航路を求めて世界の海を彷徨う?ので俗にトランパーというようになった。

    亀三郎もいよいよ人生のトランパーとなるのである…
一句
亀はんの華の吉原秋の空