「トランパーの雄」出版まであと152日(亀三郎の決心)

亀三郎の生まれた河内村(その後、喜佐方)から吉田町までは細い道である。当然車はない時代で途中に道で、馬や牛に出くわすと
田の畔か、畑にそれを避けなければならなかった。宇和島市へは3里ある、約12キロの距離である。
昭和15年頃の話、吉田町の農村は日本の模範村で裕福であった。養蚕に励み柑橘類を作ることに堪能で、ミカンは日本一の生産量だった。
村の近辺には、土佐の長宗我部元親に攻められて、これを防いだ白城城の跡がある。雷神社、八幡神社があり、喜佐方中学が村の中央にあった。
亀三郎の家から一山越えると「筋」という海岸の村に出る。目の前は法花津湾、宇和海が広がるいい眺めである。
♪筋の観音丸20日過ぎりゃくだる(ア〜ヨイヨイ)という田舎歌があるが、船で大阪まで20日で行き来した。亀三郎は庄屋仲間と金毘羅様参りに船へ乗った。
船の中では女子にチョッカイをだし騒がせたそうである。早熟な亀三郎は人の好い、素朴な土地柄を捨て東京で一花咲かせようと、一大決心をした。
創業者というのは理屈で物事を考えない動物的なカン、第六感が行動を起こさせる、要は決断の速さである。
if 亀三郎が学問が好きで、南予中学を卒業し上の学校に行き、真面に就職しておれば、立志伝中の人にならなかったのではないか。
しかし亀三郎は出郷、宇和島から船に乗った!…ちょど時間となりました。「トランパーの雄」でまた講演〜。
一句
喜佐方やミカンの花の郷景色
宇和海