「トランパーの雄」出版まであと148日(亀三郎いよいよ上京 )

亀三郎は京都の小学校を1年半ほどで辞めた。
このままではうだつが上がらないと言って
飛び出した。2回目の転身であるが、もう一度勉学に励むため東京を目指した。
末は博士か大臣か、と青雲の志は忘れていなかった。当時は鉄道は開通していなかったので
四日市に出て海路横浜に向かった。その後、横浜が彼にとって忘れえぬ街となるがまだ知る由もない。
横浜に上陸した亀三郎は東京に向かった。
トランパー(放浪者)男は、吉田〜大阪〜京都〜四日市〜横浜〜東京と迷える子羊である。
彼の東京行きを勧めたのは同志社山本覚馬という説もあるが定かでない。
覚馬は京都の近代化に貢献し、小中学校など創設している。
さて、亀三郎17歳、華の東京でどうなるか?ちょど時間となりました、また講演…。
一句
青雲の心ときめく春の海