「トランパーの雄」 出版まであと153日(亀三郎15歳)

「海運王」と呼ばれた山下亀三郎が出郷した明治15年はどんな年だったのだろう。
旧100円札と髭で有名な「板垣退助」が暴漢に襲撃され「板垣死すとも自由は死せず」という
セリフが流行った。その頃は各地で襲撃事件があったそうだ。自由民権運動という議会政治の胎動だった。
さて、亀三郎は家出するときに「わしは太政大臣三条実美のような男になるんや」といって
飛び出したという。実美は日本の歴史上最後の太政大臣となったが、実権は明治の元勲が握っており謂わば名誉職であった。
中央ではご一新の薩長勝ち組が鹿鳴館で舞踏会を開いている。
亀三郎は13歳から地元の南予中学に入る、今の宇和島東高等学校で進学校として知られている。
しかし上級試験を受けるが中々受からない。結局もう勉強はやめた!と退学届をだす。
一句
青雲の亀の疾風桜舞う