「トランパーの雄」出版まであと145日(亀三郎の親不孝)

亀三郎出郷して5年目にして初めて帰省する。穂積大先輩から8円を借金してまでの用事は(司法試験に受かるために後2年仕送りしてくれ!)との直談判だった。
後年、亀三郎は自伝で語っているが「帰京してすぐ半分の4円を穂積先生にお返ししたが、その後残りを返す段で、先生が受け取る受けとらんは債権者の自由で未来永劫に穂積家は山下家の債権者だ!」といったそうな。
母・敬は、亀から仕送りの請求が来るたびに鋸で首をひかれる心地だった、また毎朝氏神様にお参りし「どうか亀三郎はコレラで死ぬように…」と祈ったそうである。
当時コレラは大流行で「コロリ」といって病にかかったらすぐ死ぬ伝染病だった。長患いより金のかからないコレラの方がよいと祈ったそうだ。
亀三郎はこの話を後年聞かされ大泣きに泣いたそうである。
金の切れ目が縁の切れ目とはよく言ったものだ、懺悔の値打ちもない亀三郎はついに目が覚めた。
……彼に救いの手を差し延べたのは、吉田三傑のひとり「村井保固」だった。
一句
春の酒母の意見も後で効く