「トランパーの雄」 出版まであと154日(宇和島の偉人)

伊達10万石から著名人が多く輩出されているのは何故だろうか?
400年前に入部した伊達家が大いに関係していると思う。
藩の教育方針とか、先進的な考えを持った藩主がいたせいではないか。
特に幕末の4賢侯といわれた伊達宗城のもとで育った俊才が多く世に出た。
亀三郎が尊敬する「日本法学の父」といわれた穂積陳(のぶ)重(しげ)や「護憲の神」といわれた児島惟(これ)謙(かた)がいる。
今年のGWに帰省した折、同級会の会場ホテルの近くの穂積橋を散策したが橋のふもとに
「老生は銅像にて仰がるるより万人の渡らる橋になりたし」
と記された石碑があった。立派なお言葉、賢人の賢人たる所以か。
宗城はペリー艦隊を見て、わが藩も蒸気船を造るべし、と家臣に命じた。
船を造ったのは提灯屋・嘉蔵(前原巧山)で村田蔵六大村益次郎)と長崎にわたりボイラーを完成させ、安政6年(1859)蒸気船の試運転に成功した。
一句
わが殿が船を浮かべる伊達の春