戦国武将・土居清良という男 1


  ブロガーの郷里吉田町に石城山、犬尾城山という小高い山がある。

かつて伊達吉田藩の町造りに、それらの山を削って葦の湿地を埋め立てたので、急峻な形状をしている。

子供の頃、町の中心地「横堀」から犬尾城山を見上げて育った。たまに頂上まで登った事があったがかなりきつかった。眼下は宇和海に臨む吉田湾が広がり左手彼方に石城山が望める。この二つの山の由来を知らなかったが、実は壮絶なヒストリーがあった。

 先日、田舎の親戚から「戦国 伊予の聖雄 土居清良」という本を頂いた。隣町宇和島市三間町の竹葉秀雄氏という高名な人が執筆した覆刻本だった。

この本で石城、犬尾城の陥落を知ったが、それは伊達吉田藩三万石が発足する前の戦国時代の話である。

戦国時代に南予宇和郡を治めていたのは、公家出身の西園寺実充だった。その配下土居一族は三間郷の大森城を本拠にいくつもの城を持って西園寺に仕えた。

 土居氏は紀州鈴木三郎重家より出て、7代目備中守清時は楠木正成に従った。11代を清良の祖父清宗(入道・早雲)という。早雲は天文15年(1546)から永禄元年(1558)まで94度の戦で一度も敗れることはなかった。

早雲の孫清良の一代記が「清良記」=せいりょうき=で、清良が没した寛永6年(1629)頃に、配下の土居水也が全30巻を執筆したものである。

 ネットで「清良記」を検索すると第7巻には、日本最初の農書として知られる「親民鑑月集」=しんみんかがみげっしゅう=が記述されており、農業耕作に関し、清良配下の三間村松浦宗案が清良の諮問に答え意見を記述しており、農業関係者の研究材料となっている。

 暑い夏だが、しばらくはこの戦記を繙いてみたい。

 

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(昭和初期の横堀、犬尾城が聳えている/河野哲夫氏提供)