ニューヨークでゴルフ

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BSNHKより引用

 

 PGAプレーオフをテレビ観戦、松山英樹を見ようと5時に起きた。何と舞台はニューヨーク、テレビに自由の女神が映りマンハッタンに向けてショットしているシーンだった。

リバティナショナルゴルフコースはハドソン川イーストリバーが合流する辺りのニュージャージにあり、日本の若洲リンクスのようにゴミの島を埋め立てたそうで造成費は25億ドルと世界一金のかかったコース、メンバーになるには30万ドルと高額。

 さて、ニューヨークといえば吉田三傑の村井保固である。彼の盟友・新井領一郎が日本人ゴルファー第一号らしい。新井は村井らと「日本倶楽部」を創設した。村井ら仲間を熱心にゴルフに誘った。日本人ゴルフ発祥の地はニューヨークだった。

 この二人の生涯ほど共通しているものはない。明治初期に海外貿易を志し船で太平洋を渡った。お互い道は違っても生糸商、陶器商として成功、共同出資の会社も設立しニューヨークで大奮闘「紐育の三元老」と呼ばれ、太平洋横断する事、生涯に90回とこれも同じである。新井はコネチカット州の高級住宅地オールドグリニッチのリバーサイドに邸宅を建てた。村井も新井の隣に自宅を建てた。

 日本の名門ゴルフ場「東京ゴルフ倶楽部」のメンバーは、ニューヨーク日本倶楽部のメンバーが多く、新井領一郎、森村市左衛門、村井保固、福沢捨次郎など錚々たる人々。「東京ゴルフ倶楽部」の名誉会長井上準之助(元日銀総裁)にゴルフを教えたのは新井である。

『トランパー』の山下亀三郎、清家吉次郎や浜田喜佐雄もニューヨークにミッションで来ている。

 ブロガーも2000年ニューヨークを訪れた。9.11のテロの前年、ハドソン川を渡ってニュージャージ港を視察した。リバティナショナルゴルフコースは2006年開場なので訪問地の先に建設中だったのであろう。帰路のバスの中でマンハッタンに浮かぶワールドトレードセンター(ニュージャージ港湾局所有)をメンバーが懐かしく見入っていた。外航時代そのビルはかつての職場だったが、海運がさびれて其の頃はニュージャージに引っ越していた。ブロガーは五番街でキャロウェイのホークアイアイアンセットを購入し飛行機内に持ち込んで帰国した。

 

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村井のリバーサイド邸宅