戦国武将・土居清良という男 5

石城陥落(3) 

 

 大加美夫人は土居一族再起の為、孫・清良を土佐幡多郡に落とすことを決めた。伴の有力武将4名に対し、幡多土居近江守を頼り、小姓衆を導いて清良を援けと諭し、人質の料として清貞の娘お松を託した。

  本書には、

清良「今度一門を捨てて逃げ、重ねて天下を取ると云えども、敵に後ろを見せん事罷りならず候」といえば、

大加美大いに怒りて「物を読み学問せよと云うしは此の所ぞかし。物を広く不知者は父母の意見も聞かず、祖父祖母の教訓にも付かぬ者ぞ」

清良構えて聞こうともせず、

「土佐に武(もののふ)渡すな。男に心有る事ぞ」と云い、小姓衆また誰一人落つべき様もない。

清貞、清永大声にて怒り、早雲は家老衆なだめなどして漸く落つべく定まった。

大加美「落城の際は、敵は女を取るものなり。用心せよ」とて、土居次郎四郎と言う三十人力もあるものに松女を背負わせば、次郎四郎は四尺五寸の太刀横たえ、大薙刀をうち振い大庭に躍り出で、別れを惜しむ妻子に、

「おのれ等は君の御供申して今三時ばかりの内に目出度い処へ参るぞ。我等は今一度この御寮を家に立不申内は如何ばかり難行して、例えその内我命限り有りて死すとも、閻魔大王に暇乞し死出の山より立替りて押立参らせん。あら待遠なる月日や」と、躍上り躍上って真っ先に坂を降る。

城中の面々は二十五人を五隊とし、白布を裂いて鉢巻とし合言葉を作り、落人の道開かんとすれば大加美「今度は尼、道案内せん」とて自ら打ち出で、在津勘解由の陣中に乱入し、大いに打破り血路を開いて闇にまぎれて難なく送り逃れしめた。

10月5日には城中総てで121人となった。守、乳人より下々の者を落として水を節し、暫くは雨が降り孤城は幾日か堪えていたが、落人が捕まり城内の様子を白状した為、東井戸も掘り崩され命運は遂に決した。

軽卒に四門を堅めさせ、各々本丸に入って最期の酒宴を開き、辞世を書き留む。

 

老大将伊豆守清宗入道宗雲  行年七十八歳

柱石武門威気彰 卷旗今去寶楼場

安禅豈只借山水 除却氣情火自涼 

 

嫡子備中守清貞  行年五十七歳

擧旗法戦場 陳脚幾彰名

智剱出來看 心頭日月明

 

二男真吉右衛門清影  行年五十三歳

長守鐵城定弱強 功成名遂別無望

南軍左袒非吾事 覺了法身此戦場

(筆者・竹葉秀雄はその他の者残っていないのを惜しんでいる)

 

一族大将11人、子孫23人郎党49人他38人は末座より割腹、四郎、五郎、六郎ら7人が残って首を打ち落とし、材木薪の中へ投入れ莚畳を取りかけて火を放つ。

ここに、夫人大加美は城中を駆け回って堅く門を防がしめ、見苦しき物共を火に投じていたが、六歳と七歳の孫女二人、凄惨極まる最後の状のあまりの恐ろしさに遁れ隠れて扉の陰に居るを見付けて、「汝等父母乳母と一所に目出度き所に行くぞ。遁るることやある」とて左右の手に取り、「いざ」と言えば喜しげに急いで、懐に入れた雛を大加美に見せ「これを痛めぬ様にして給え、姉子に見せ申さん」と云えば、城門を防ぐ荒し男まで涙に袖をぬらした。

大加美は気嫌をとりつつ、「あの内に父も母も姉子も御わします程に早く、早く」とせき立て、「誠に美わしき花などあれば」と勧め、「祖母より先に」と進むところを両手にかき抱いて炎の中に飛び入り、二人の孫を押し伏せ手を合わせて煙となる。

かくて土居一族は西園寺領悉く大友に降伏せる中に、死にいたるまで、義を変ぜず、節を屈せず、大軍を引き受けて孤忠孤城を守ること四十余日、遂に水涸れてはまた如何ともする能わず、清良に後事を託して、鬼神も避けん勇将、猛卒悉く、石城山頂の煙と消え果てた。嗚呼誰かその壮烈に感ぜざらん。誰かその悲風に哭せざらん。

時に永禄3年10月6日、旗頭西園寺の居城黒瀬は石城陥落に先って降る。

 

「吉田藩昔話」(筆者・戸田友士)には、

吉田町大工町に姫宮神社がある。傳説によると往年石城陥落の夜、火丸の飛び來りて此處に留まり信仰者に御告げがあった事から土居清宗宗雲の夫人妙榮尼の霊を祭つたのだといふ、妙榮尼は河野通賴の女、西園寺公宜の伯母に當る稀世の女傑であつて屡々戰場に出て長刀を振つて敵を斥けた事あり、石城陥落の際、七十餘歳の老軀を以て最後迄驅け廻り萬端に注意し六歳と七歳の愛孫を左右に抱いて猛火の中に投身したといふ其時孫女は雛人形を懐にし祖母に見せて損めぬ様にして賜へと言へば側の人々涙を流した哀話を殘して以る、此神社は明治三十年頃八幡神社境内に合祀せられたが、其後更に小祠を建て以前の場所近くに祭られ居る。

また、犬尾城の項では、

石城主土居宗雲が豊後勢の来襲に備へんがために增築した城跡で吉田湾を一眸に收むる所で宗雲の三男淸晴(土居淸良の父)は永錄三年九月朔日此處に戰死した、其麓に犬尾城神社があって、戸島權現と稱へ松ヶ鼻に鎮座していた。と記されている。

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宇和島市吉田町では旧暦9月16日に「姫宮神社」のお祭りがあり、火除けの神様として崇められている。今でも妙榮尼の悲話は語り伝えられ姫宮様の姿を借りて生きている。