伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし      (レータの浜)

レータの浜での磯遊びジュラ紀前より引用)

 

 町は入り江の奥にある。U字型の湾の両岸は岩場と砂浜が交互に並ぶ綺麗な渚が連なっていて、左岸側にはほとんど集落がない。自然のままの渚が続いていた。

 リアス式海岸特有の岩場に挟まれて、所々にちょっとした砂浜が何本か数珠つなぎになっている。この数珠つなぎの岸辺をレー夕の浜と呼んでいる。

 岩場は岸から急斜面で落ち込んでおり水はいつも青く澄んでいた。大きな木の枝が岩の上に覆いかぶさり、海面すれすれまで垂れ下がっている所もあって風景画から切り取ってきたようであった。

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  このレータの浜では海水浴をしたり貝殻を拾ったり、釣りをしたり巻貝を集めたり、磯遊びを楽しむことができた。岩に着いた海藻をかき採ったりもした。

岩と岩の間を跳んだり、登ったり下りたりして岩場を巡り、海藻の林を泳ぐ大小色とりどりの魚の群れを眺めることができた。ちょっとした岩場の深みに潜ると海綿やトサカノリのような色鮮やかな海藻にサンゴも垣間見ることができた。海藻の林を小魚たちと戯れいると、一メートル足らずのフカに出会ったりすることもある。びっくり慌てて岩によじ登ったりした。フカはシロサメの子、アカブ力であったと思う。

 干潮時には岩場のくぼみや潮溜まり、小さな池の中で、いろいろな生物に出会える。ヤドカニを捕まえたり、ちょっと変った形、大きさの巻貝を見つけて喜んだりした。岩間に着いたイソギンチヤクをつついたり、アナアオサやウミウチワなどの海藻の陰に隠れた小さな魚、ギンボの類を両手で追ってすくったりした。

 また砂浜では、打ち上げられたいろいろな海藻をこれは何々、あれは何々、あっ珍しいのを見つけたなどと言いながら、ひと泳ぎのあとの自然観察もできる。ホンダワラの豆をプチン、プチンとつぶしたり、漁師が打ち棄てた赤天草、白天草など深場の海藻の断片を手に取って喜んだりした。

 岩場の先端ではベラやグレ、カワハギ、力ゴカキダイやメジナチョウチョウウオなど色鮮やかな魚も視界をよぎる。ウミウシアメフラシ、ナマコにウニ、ヒトデ、イソギンチヤクなど色も形もさまざまな生物が見られた。数センチしかない小さなフグの子が足元までやって来ることも珍しくない。そのかわいらしさにつられて手を伸ばし、すくい捕ろうとすると、ぱっと逃げてしまう。人懐っこい割にすばしっこく簡単には捕まらなかった。

ゴンズイの一群が小さな竜巻のように岩陰から突然涌き出てきて、慌てて足を引いたりもした。ロひげ生やしたドジョウ顔と鮮やかな黄色の縞模様がちょっと薄気味悪い群舞であった。

ミズクラゲやタコクラゲは海中見通せる範囲にくまなく広がって群舞を見せてくれる。

 これらのクラゲは満ち潮に乗って湾内奥深く町の河口をも遡って、家の裏の川がクラゲでいっぱいになることも珍しくなかった。時には毒触手を長くたなびかせた赤い筋模様入りの透明なアカクラゲが混じっていることもある。

《中略・筆者の三瀬氏は、クラゲ、海藻、魚のスケッチを丁寧に描かれたり、学術研究の分野まで詳しく記されているが、紙面の都合で省かせて頂きます》

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 朝早く、大人の大きさ以上もあろうかと思われるメバチを1匹乗せた大八車が、重そうに引かれて行く姿もよく目にした。オー!と思わずみんなが声を上げた。私たち子供が車について走ったものである。

 このメバチ(Thunnus obesus)の頭のあら焚は、大家族向けの大鍋からもはみ出さんばかりであった。その目玉は大きくて、周りの脂肪・タンパク質はとろっと口の中でとろけて、とてもうまかった。

 レ一タの浜へは後年、家に釣り舟が手に入ってからは海路も何度か採用した。これは私にとっては大変な労働で自然観察の楽しみが半減した。櫓が漕げるのがうれしくて仕方がない間は長く続かない。兄たちはもう若菜摘みなど付き合う年ではない。いとこたちも近所の同年輩の参加者も、ほとんどの者が櫓を漕げない。私一人であった。とても大勢乗せて何度も行けるようなものではない。

 考えてみると母の度胸も大変なものである。舟が手に入った時には私は10歳を越えてはいたが、やせっぽちで小柄な私一人が漕ぐのである。それに女子供総勢10人近くが乗って、小さな狭い湾内とはいえ海を渡るのである。5分や10分ではない。往復だと時間単位の間、私一人の細腕に託すのである。現代の親子ではとても考えられない。

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 ブロガーは、中学時代だったろうか、一度、友達とボートを漕いで吉田湾の中央付近まで行った覚えがある。しかし知永の浜辺をレータの浜と呼んでいたとは知らなかった。

日頃、小船で沖の方まで行くことは無いので、危険を感じ引き返したと記憶している。

 今年の始め、松山市に行ったとき同級生の清水君に聞いた所、レータの浜へはよく船で行った!というので間違いないのである。