伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし        (十日えびす、七夕)

 

十日えびす、七夕など(『ジュラ紀前』より引用)

 暮れの餅つきから正月と続いた熱気が、一段落する間もなく十日えびすが来る。大阪で言う商売繁盛で笹持って来いの日だ。

 私の家は1軒おいて隣りが住吉神社、えびす神社だから、みんなが家の前をぞろぞろ笹持って行き来する。それだけ笹飾りが身近であった。

 笹には小さな米俵や千両箱、金色の大判小判に桝、鍵など、今でいえばミニチュアが付けられている。かわいらしくて子供にはたまらなく魅力的であった。いやが応に収集心をそそった。

 神社に納められた古いものはまとめて海に流されるのだが、勝手知った近所の子供たちが投げ入れられた昨年のお返し笹の山から、これらのミニチュアを選り取り見取りできた。年に1度のうれしい日である。神社の傍ら岸辺に積み上げられた笹からちょっと頂戴するわけである。夢中で集めた。

 米俵が最も人気が高く、握りこぶしくらいの大きいものや親指ほどのものなど、大小を問わず奪い合った。近所の子供があちこちの物陰からさっと出てきて先を競う。同じものであれ構わず何個も集めて、両手で抱えるようにして持ち帰った。

 当年のものは神棚や玄関の脇などに飾られ、1年間眺めるだけで触ることができない。

 当然のように神社に納められた昨年のものが目当てになる。杭と縄で仕切られた返納飾りの置き場に積み上げられた笹の山が、おもちゃの掘り出し場所となった。

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 現代のように店にも自分の家にもミニチュアや人形など、おもちゃがあふれている時代とは全く違う。いとおしさもそれだけ高かった。建前上は海へ流すことになっているものを、みんなに後れを取らないよう真剣に集め、宝物のように大事に大事にした。

 大人の方も先刻承知していて、あまりとがめたりしない。子供の方も散らかし放しにはしなかった。現代の感覚からすれば、子供だから同じ物をたくさん集めれば飽きもくるはずであるが、飽きて捨てた記憶はない。捨てるころには興味も失い忘れてしまったのかもしれないが、とにかく異常に興奮した。いったん神社の片隅に積み上げられた

 去年の笹飾りは、ある程度たまると一斉に海に流された。そのころには飾りのミニチュアは子供たちに取られてあまり残っていない。それが引き潮に乗って沖の方へ流れて行くのを、惜しいものを見送る気分で見送った。

 笹も現代のものに比べると何倍も大きい。ときどき川底に引つかかったりして転がると、水面下に隠れていた取り残しのミニチュアが現れたりして悔しがった。

懐かしい光景の記憶である。

 十日えびすのミニチュア飾りを集めて喜んでいたころのことだったと思う、祭りの夜店を出したことがある。その光景が脳裏の底からむくむくとよみがえってきた。

 町では毎年春と秋に大きな祭りがあり、秋祭りでは牛鬼が出て暴れる。このことは先に書いた。春祭りもこの秋祭りに匹敵するような賑やかなものであった。お神輿は言うに及ばず、たくさんの山車や八つ鹿踊りは春の主役だったかもしれない。町の各所に夜店が並び、近郷近在の人が大勢出てきて賑わった。

 ある春祭りのことだったと思う、家の前がメイン通りの一つだからと、どこかの誰かに頼まれて夜店を家の前に出したことがある。子供の訓練になると両親が思ったかもしれない。戸板を木箱の上に乗せ臨時の台にした。その上に商品を並べた。何か張子か縫いぐるみのような物だったかもしれないが、全く記憶に残らなかった。

 電灯線を軒下まで延ばし、戸板に載せた商品を前に同じく木箱を逆さにして座り、

「いらっしやい、いらっしゃい」

と通りがかる人に声を掛けた。

兄だったか姉だったか、二人で並んで座ったことをうっすら覚えている。恥ずかしがり屋だったから相当に勇気を出したつもりであった。

 残念ながら一つも売れなかった。早々と店をしまい親からは意気地なしと叱られ、商品を提供した人にはあきれられた。うっすらとあやふやな記憶であるが恥ずかしい思い出である。

  同じころ、七夕祭りで赤、青、黄、ピンクなどの綺麗な短冊に墨で字を書くのがうれしかった。墨をすり毛筆を持って、ちょっとばかりお兄さん気取り、一人前になったような気分が何となくうれしかった。「あまのかわ」と書いて、少し曲がったかなとか、墨をつけ過てにじんでしまったとか、一喜一憂しながら書いた。ほとんど「あまのかわ」と同じ言葉ばかりであったが、やった!今度は上手に書けたと喜んだりして一枚一枚に感動が伴っていた。

 また、漢字でも書けるぞと「天の川」と書いたりもした。覚えることに最高の喜びを味わえる年頃であったと思う、一生懸命同じ字を繰り返した。

 また笹に吊るす紙縒り作りも母から教わりながら取り組み、やっと1本うまくできたと喜んだ。

 紙縒りはお習字に使う半紙を細長く切り、親指と人差し指と中指の3本を使って端から螺旋に縒っていく。時々指先を舌に当て湿らせながら縒る。

 半紙は鋏で切るよりも、折り目を付けてそこから破くように切るのがよかった。切れ目に微細な繊維の毛が生えて縒るのに都合がよい。それが舌の微妙な湿りっけを含みアンカ一になったのであろう、螺旋がずるずると解けるのを防いでくれた。

 紙縒りは最後の少しを縒らずに残し止め部とする。短冊の上の方に開けた穴に紙縒りを通す。あとは笹の枝に紙縒りを結び、吊るせば笹飾りができ上がる。

 笹には短冊の他に、網も作って吊るした。網は半紙を織り紙のように折って、はさみで切れ目を入れて広げると、裾広がりのドレスのようなシルエットの網ができた。単調な短冊の長方形に混じって白い網が繊細に広がった姿は笹飾りに大きなアクセントを付けてくれた。

 細長いクラゲの糸のような白い流しもあった。ただ網に比べると記憶が薄いのは折り紙作りの網の印象が深かったためであろう。

 こうしてできた笹飾りを二階の窓の手すりにくくりつけた。涼風がさらさらと鳴らす笹の葉の音はなかなか涼やかなものである。

 短冊飾りは小学校低学年生くらいがふさわしいのであろうか。字を覚えたうれしさ、字が書けたうれしさが印象深い。少年になってからの記憶はむしろ薄い。

 小豆独特の色をした甘いあんこでくるむぼたもちや、月見団子が食べられるのもうれしかった。ぼたもちができるのを待つあいだ、母が話してくれた牽牛と織姫の伝説に同情し、神妙な気分になったものである。ぼたもちを食べながら、星の二人も一緒に食べているかな、と思ったりした。夕闇がやって来て星が輝きだすと、しっとりした二人の話しがいっそう輝きを放つようであった。

  夜空の星はまさに空いっぱいに散らばっていた。降るようなという表現はぴったりであった。

f:id:oogatasen:20190201105523p:plain(画・三瀬教利氏)