伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし      (粉ひき)

粉ひきジュラ紀前より引用)

  昭和20年終戦前後のことである。よく「はったい粉」を熱湯で練っておやつに食べた。

はったい粉」は麦を軽く炒って石臼でひいた粉である。「麦こがし」ともいう。これを茶碗に入れ熱湯を注いで練る。わずかに粘り気が出て塊になったところをスプーンですくったり箸でつまんだりして食べる。味付けは砂糖を少々加えるだけであったが、香ばしさが現代の午後のコーヒー一杯に通じるようだ。手びきだから粉が粗く、さらっとした舌触りが特長であった。

 また同じ石臼でイモの餅用の粉もひいた。この粉は水で練って小判型に丸め、蒸篭で蒸すと黒褐色、飴色をしたぴかぴかの餅ができる。歯ごたえは餅とプリンを合わせたようなものと思えばよい。ぷりぷりむちむちして、一つ二つは甘くてとてもおいしい。

 イモでんぷん餅といった方が分かりやすいかもしれない。サツマイモを洗って薄く輪切りにし、天日で乾かしたものを粉にして作る。

f:id:oogatasen:20190213213337p:plain この「はったい粉」とイモの餅用の粉を作るのに石臼を使った。自分たち子供のために何かと忙しいなかで母がひいてくれるのだから、いつのまにか手伝うことになってしまう。というより早く食べたいから自然に出しゃばることになる。ニンジンをぶら下げられた子馬みたいなものだ。

 小さな手びきの石臼の取っ手を持ってぐるぐる回すだけだが、これがなかなか腕力を要する。今でいえばボディビルのエクスパンダーみたいなものであろう。昔は幼少のころから自然と鍛えられていたことになる。

 石臼は上石と下石を重ね、その間で粒をすりつぶす装置である。下石の中心に取り付けられた鉄の軸を、上石の下面に穿ってある中心の穴にはめ込んで重ね、上石をぐるぐる冋す。上石の上面は皿状にへこませてあり、ここに粒を入れて上石を貫いて穿ってある孔から少しずつ粒を落としながら上石を回す。粒は石と石の間に挟まれ、そこに刻まれた波型の刃と刃で砕かれ磨られて粉になる。

 右手で石臼を回しながら時々左手で粒を少しずつ注入ロにかき込む。粒をばさっと入れると臼は軽く回るが、十分碎けないで粗い粉になる。

 はったい粉は、粉が粗いと湯で練ってもぱさぱさして粘りっ気が出ない。細かくひけばひくほど粘りも出て舌触りが滑らかになる。がんばって味の良いものにするか、食べるときの味の方を少々犠牲にしてひく労力を軽減するかは本人しだい。

 終戦前後の物資不足の時代にこの石臼がずいぶん活躍した。これによる腕力の養成鍛錬も成長盛りの年頃であっただけに、ばかにならないものであったろう。ほんの数年利用しただけだったのか、それ以前もそれ以降も記憶にない。物置にしまったままになったのであろう。先祖が残しておいてくれたものが非常時に活用できたということである。

 粉ひきは大掛かりなものでは水車で駆動したり風車を使ったりする。オランダの風車を知らない人はいないであろう。それに比べ、はったい粉用は各戸にあって人の手でひくのであるから、簡便なポータブルということになる。大量生産方式が発達する前の人々の素朴な生き方が見えてほほえましい。

 もし今も残っていたらコーヒーひきに使ってみたい。電動式の鋼のカッターで瞬時に砕かれるのと違って穏やかにひかれる。微妙な自然の香と味が楽しめるに違いない。

 石臼だから熱容量が大きく、その上、手びきだから発熱はないとみていい。金属の刃が高速回転するカッター式より香り成分の逸散が少ないのではないだろうか。石の霊気も移り加わるかもしれない。

 あるいは逆に石臼を電動式にして、家庭での廃棄物処理に役立てる手だてもあるかもしれない。石の種類など工夫すれば触媒作用も加わっていろいろメリットが出てきそうである。

 しかし重い石を使うのは電力を食ってコストがかさむ可能性もなきにしもあらず、夢想が過ぎたかな。

 さて、はったい粉の「はったい」を昭和4 0年発行の広辞苑で引くと、米と臭、および麦に少ないを横にくっつけた合字が当てられている。

 「米または麦の新穀を炒り、ひいて粉にしたもの、麦こがしと」と説明されている。続いて「米臭」石(はったい石)は砂と鉄鉱と結合してできた黒褐色の円い塊状の石。内部は空で、白色または青白色の細粉が詰まっている。子持ち石となっている。

 そうゆう面白い石がある。実物を見れば自然の造形、偶然のなせる業の奇妙さに改めて感嘆するに違いない。新潟県北蒲原郡黒川村の鉱物博物館に展示されていたように思う。

 

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 ブロガーは今でも芋の蒸し団子を食べたいと思うことがある。

 寒い冬は芋のカキ餅を火鉢の金網で焼いてよく食べたものだ。膨らんだ餅を押さえて煎餅のようにしても旨かった。

 家内に芋の粉を買ってくれと頼むと、そんなものは売っていないという。石臼はお袋が挽いていた様な、ぼんやりとしか覚えていない。