伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし      (缶の寄せ合い)【最終回】

 

 缶の寄せ合いジュラ紀前より引用)

 私が少年期の記憶である。町恒例の行事として毎年春に消防の出初式があった。出初式では一通りの形式ばった式の後、缶の寄せ合いというゲームが行われた。

 式は町の中央を横切る川の川原で行なわれた。春といってもまだ寒い最中である。観客は川の両岸や橋の上に鈴なりになるほど集まった。その日の天候によってはオーバ一の襟を立てて見物することになる。

 町はこの川で川上と川下に真っ二つに分けられる格好になっている。海側から見て町の右側山すそを流れていた川がほぼ直角に曲がり、町の真中を横切って、こんどは町の左側山すそを流れる川と合流して湾に出る。もともと葦の茂る所を埋め立てて作られた町だから戦略上、行政上そう設計されたのであろう。自然の蛇行をちょっと手入れしたのかもしれない。二筋の川を片っ方は町の真中へ向きを変え、下流でうまく一つにしたと思える。

 この町を横切る川の左右両端に橋が掛かっているから、ちょうど川原は両岸と二つの橋で取り囲まれた競技場のような格好になっている。これも町の設計時に計算されたのかもしれない。

その川原に大木が生えたように二本の高い柱を立て、両柱のてっぺんの間を太い針金でつないだ。その針金に5ガロン缶をぶら下げ、缶の底にはさらに大きな錘をぶら下げて缶がふらふら揺れないようにしてあった。

 消防車は近郷の村からも集まって参加するから10数台、6、7組の対戦があったと思う。大半は手動式のものであったが、何台かエンジン付きの最新式のものもあった。1年間ほとんど使うことがないから機械の調子を見、整える意味が主要な目的であったろう。式典の後、一台ずつ順に放水していく。思い思いの方向に向けたり一斉に真上に向けたりして噴水の競演を楽しませてくれた。音楽を奏でるように大小の放水を交差させたり一方を止めたり、数組の合唱のようにしたり、いろいろ見せてくれた。最後は一斉に全車が放水して噴水の列を作ったり交錯させたりと水の交響曲を奏でて見せた。毎年工夫がこらされ少しずつ違ったところも見せてくれた。 

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一通り放水技量を披露した後、こんどはいよいよハイライトのゲーム、缶の寄せ合いに移る。右と左の二手に分かれて一台ずつで対戦する。吊るしてある缶めがけて放水し、缶を相手の方の柱に押し付け合うのである。一定時間経つと笛が鳴り、そのときどちらに寄っているかで、勝敗が決まった。

 

だいたい同じくらいの能力のポンプ同士を組み合わせて試合を行なう。手動式の消防車では10人前後の人がポンプの取っ手に取りついて、掛け声勇ましくわっせわっせとやる。1度缶に水が当たると錘が付いていても結構大きく動く。缶は揺れたり、たまにでんぐり返りしたりした。

手動だから水の勢いもばらっく。狙いがなかなか定まらない。缶は少しずつ、あっちへ寄ったりこっちへ押し返されたり、いい勝負が続く。ポンプの押し手が疲れてくると一人二人と交代して取りついて一進一退、勝負はなかなかつかず、しばらくのあいだ楽しませてくれた。

「ほら、今だ、今当てんかい」

「何をもたもたしている、ほら、当てろ」

と観客もやきもきして応援する。うまく水が当たり缶が大きく寄せられると、わーと歓声が上がった。

 エンジン付きのものは数が少ないから出番は最後の方になった。こちらは掛け声よりエンジンのうなりが迫力があった。水の出る量も勢いも桁が違う。2台のエンジンがうなり真っ白く高速の水柱が空高く舞い上がった。大きく取り巻いた観衆のどよめきも、ひときわ大きく周囲の山にこだました。

手動とは全く違ったスケールを味わわせてくれた。水量も人が押すのと違い一定しているから狙いもつけやすかったであろう。均衡して両者の間で缶が止まってしまい、いたずらに両方の水が缶を押しつぶさんばかりに飛び散ったりした。

筒先は2、3人掛りで押さえていた。人力と違い水の出る勢いの反作用が強い、まるで強い風に向かって歩くように前傾姿勢で筒先を押さえていた。中の一人でも油断すると、へたをすると仰向きに倒されかねない。水柱があらぬ方向へ飛んで舞い上がったりする。そうした相手のすきに、たまたまうまく水が当たると缶は一気に相手の柱まで吹っ飛んでいった。

降り注ぐ敵の放水で標的は見えないし、的が真上になるから水が缶の底に当たる格好になる。側面に当たってもほぼ平行になるから向こうへ押しやる効果が激減する。あわてて筒先を後ろへ下げて、自分の方の柱に押し付けられた缶を押し返そうとする。降り注ぐ相手の水流の下で、後ずさりしながらの放水になる。勢いよく放水されているから筒先が暴れかねない。それを大小の石ででこぼしている川原を後ずさりして持ち運ぶのだから、転びそうになったりする。うっかり手を離そうものなら大変である。けが人が出かねない。

砲手が必死でしがみついて筒先が暴れるのを防ぎながら、倒れないように支え合いながらの後退になるから筒先が定まらない。水が観客の方へ飛んでくることは珍しくなかった。ウワー、キヤーと悲鳴を上げて将棋倒しになったり、逃げ散ったりした。不利な状態に追いやられた方は、反面、缶との距離が極端に近くなるから1度うまく当たると一気に押し戻し、逆に相手の柱まで缶がすっ飛んでいく。手動式の場合と違い缶の動きも大きくなる。それだけ筒先の向きの転換も大きく頻繁になる。放水が観客席へ向かって来ることもそれだけ多い。

もたもたすると遠慮はしない痛烈なやじが飛んだ。消防士さんの方も必死である。寒いのつらいのという状態をいつのまにか忘れてしまう。その真剣さが観客にも伝わって興奮してくる。みんなの応援、歓声も一段と大きくなった。

そんなわけで土手の石垣の上、前の方では子供は危ないといって見せてもらえなかった。しかし試合はどこからでもよく見えて、あちこち移動しながら大人のわきの下をくぐり抜けて前に出、迫力あるゲームを楽しませてもらった。

 出初式は寒い季節にいわば水遊びするわけだから、消防士さんは大変であったであったろう。おそらく行事の後に振るまわれるお酒が、たまらなくおいしかったに違いない。

当時はこの缶の寄せ合いの人気は相当に高かった。行事が行なわれなくなってかなりの年数も経っている。遠く離れて想うものの一つであろうか。

 昨年たまたま母の法事で帰郷した折に、この缶の寄せ合いが復活していて見せてもらった。何10年ぶりのことになる。

昔と違いみんな裸で白ふん締めた格好でがんばっていた。観客集めの苦肉の策のように思えた。

震えながら肩をすぼめてやっていた。昔の雨合羽を着けてやっていたのと全く雰囲気が違う。何よりも観客がほとんどいない。やっている方も精が出ないのも無理がない。裸で寒そうに震えているから気の毒な気持ちの方が勝ってしまった。消防車はもうほとんどがエンジン付きに代わっているから、汗を流すような場面がほとんどない。砲手の2、3人以外は、ほとんどじっとしているから寒さが身にしみるであろう。かたわらで手持ち無沙汰でしぶきを避けて震えている格好になる。昔の興奮とはあまりにも掛け離れていた。老齢化、人口構成の偏り、若者の極端な減少などなど、行事を続ける環境は相当厳しそうに見えた。

 観客が少ないということは決定的に不利に思えた。見るこちらも老化しているから感動が鈍っている。地元の人たちの努力を、もっと生かす何かいい知恵は出せないものかと考えたが全く思い浮かばない。時代の変化の重さだけがずっしりとのしかかった。生活環境を決定的に変えなければ、とても昔のような姿はよみがえりそうにないと思えた。それは何だろう? 本当に大きなテーマだと思う。

それは年寄りの昔をなつかしむ単なるセンチでは決してないと思うのだが、それこそまさにお「センチ」なのだろうか。

 

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ジュラ紀前」掲載のおわりに

 三瀬教利さんが執筆されたふるさと回想記は、挿絵付の懐かしい昔話が39編綴られている。後世に残すべき貴重な文献としてブログ掲載を許してもらった。

 三瀬さんは、最後にこう記している。

 『21世紀にはインフォーメーションテクノロジー、I Tの進展によるグロ一バル化がいっそう進み、生命科学など科学技術の社会への波及も急進化、複雑化が避けられないであろう。よほど「まじめさ」「おおらかさ」を持っていないと対処できないのではないだろうか。

 目先の果実に惑わされて人間としての目標、限界が見えなくなり、自己中心的になったり、自制を失ったりしないよう「まじめさ」「おおらかさ」「ゆとり」を持ち続けなければならない。いっそう心豊かな時代になって欲しい。

それでこそジュラ紀のような繁栄の時代であり得ると思う。』