がいな男 (34)トランパーの雄

 船舶運航業者のことを「オペレーター」と呼んだのは、海運の本場イギリスではなく日本が始まりだった。山下汽船は自社船の何倍もの船を用船、主に不定期船として運航して‟トランパーの雄″と呼ばれた。昭和初期、山下汽船の木村一郎がロンドン駐在員の時、取引先にしきりにオペレーターといっても意味が通じなかったという。当時の外国にはよその船を運航するというシステムはなかったようだ。山下を飛び出した大同海運も1隻の船も持たずに30隻弱の用船を土台として発足した。
 この語の名付け親は山下汽船の切れ者「白城定一」で、今では世界の海運用語となっている。白城はがいな男と同じ吉田町の生まれで小学校を出て亀三郎のもとで修業した。メキメキ頭角を現し専務までなったが、大同海運騒動でがいな男と袂を別ち、衆議院議員となり、後に日満砿業を設立した。郷里から多くの人材を採用したが、この人もがいな男である。

内航海運新聞 2022/10/3