がいな男 29 部下の離反
がいな男に、がいな事が起こった。部下の田中正之輔ら20数名が辞表を提出したのだ。ブロガーの恩人「浜田喜佐雄」もインテリの田中に付いて行った。浜田は、がいな男と同郷でボスを頼りに16歳の時に山下汽船へ入社。店童から叩き上げて28歳の営業マンになっていたが、大恩あるがいな男に反旗を翻した。後年、浜田は当時を振り返り『時代の流れの一コマだった』と苦しい胸の内を吐露した。
海運会社の合従連衡は凄まじい。山下汽船から独立した大同海運は、昭和39年の海運再編でジャパンラインとなった。山下汽船は新日本汽船と合併、山下新日本汽船となったが、その後、競争力アップのためJ.LINE YS.LINEの二社は合併し「ナビックスライン」となった。結局、大同海運は元の鞘に納まったが、当事者はすでに物故となっていた。
今ではナビックスラインも「商船三井」となり(郵、商、K)の3大外航海運として羽ばたいている。