アイクと呼ばれた男 7 本社へ戻る

 ブロガーの所属した「大型船組合」の初代事務局長は纐纈(こうけつ)氏、2代目会長は木村一郎氏で二人は「山下学校」出身。昭和40年代の頃(彼は山下学校の人だ)という会話をよく聞いたものだった。何のことか分からなかったが、山下汽船の出身は、やり手の営業マン、一筋縄ではいかない人物という感じだった。当時のライバル、YS近海の人はそんな感じだった。それに引き換え、我がJ近海はノンビリした会社だった。ある日、(昨日の敵は今日の友)ライバルの2社が合併した。船会社の生き残りは厳しく、新生NVX近海は、いろいろ大変だった。

さて、青年浜田は門司で鍛えられ、25歳の春、華の神戸に帰ってきた。いよいよ営業部で(切った張った)の「引合い」をやることになる。

喜佐雄翁の奥様「葉津」さんは、小倉の生まれで粋な感じの人だった。吉田町に来られることが多く「横堀の運河は情緒があっていいわね」と聞かされたものだった。

横堀の川(2014.9/21)

内航海運新聞 2023/5/1