がいな男 (49) 巨星墜ちる

 がいな男、 山下亀三郎は、昭和十九年十二月十三日、神奈川県大磯町西大磯五一八の別荘で肺炎のため逝去した。墓は、鎌倉円覚寺にあったが、後年、小金井市多磨霊園に改葬された。多磨霊園には亀三郎翁ゆかりの大物が眠っている。ブロガー著作の『トランパー』に登場する数々の歴史上の人物である。
 2016年1月29日ブロガーは、がいな男のお墓参りに行った。埋葬場所は20区1種58側にあり、隣は俣野健輔の立派なお墓があった。俣野は、飯野海運中興の祖といわれ、1954年、造船疑獄で起訴されたが無罪となった。
 ブロガーは、山下亀三郎の墓に「トランパー」出版の報告をした。墓の前は過日の雪がまだ残っていた。

 戦後、息子の山下太郎は公職追放で社長職を辞した。太郎の長男眞一郎は、山下汽船に入り専らトランパーでしのぎを削り、度重なる合従連衡の末、商船三井の副社長になった。次男洋二郎は、祖父創立の三井住友火災に入社し、曾孫の悟郎は商船三井に勤め、亀三郎のDNAは山下家4代目と受け継がれている。
「海運王」と呼ばれたがいな男は、後進にトランパー魂を叩き込み、自らの来し方で滅私奉公の精神を示した。

 亀三郎のモットー「人間は算盤を以って始まり人格で終わる」

多磨霊園 2016/1/29

内航海運新聞 2023/2/13