がいな男 27 台湾航路撤退

 がいな男は、『沈みつ浮きつ』で〝海外旅行の事″と題して口述している。
 最初に海外に行ったのは明治39年のことで、新喜楽の女将おきんと韓国統監府伊藤博文公を表敬訪問した。がいな男は、親戚の古谷久久綱が伊藤公爵の秘書官だったので公爵には屡々お目にかかったことがあった。
その後の海外旅行は、大正2年に社員の内藤正太郎を連れて、京城から奉天、大連、上海を回る視察だった。その後も上海、大連、青島などは仕事で度々往復した。
 大正9年の欧米旅行に続いて、大正11年5月15日、参事の大澤喜七郎(休職陸軍少将)を連れ横浜を出発、香港、上海、天津、北京、青島、大連、ハルピン、ウラジオストク浦塩)を経て敦賀に上陸し6月30日帰京した。
 本格的にアジアを旅したのは大正15年7月から9月の約3ケ月間だった。この暮れに大正天皇崩御し「昭和」が始まった。

内航海運新聞 2022/8/8