がいな男  18 秋山中将が逝く

 がいな男の小田原にある別荘「対潮閣」は、海軍中将の秋山真之が亡くなった所で有名になった。
 亀三郎、真之、子規は慶応3年生まれの同い年だった。松山のふたりは、旧制松山中学、東大予備門で学んだ。真之は、海軍へ、子規は新聞「日本」の記者になった。
 ふたりと同郷の清水則遠も東大予備門へ行った。子規と清水は乳兄弟だったが、清水は心臓まひで19歳で亡くなり、子規は脊椎カリエスで36歳亡くなった。
 真之はがいな男に「不生不滅明けて鴉の三羽かな」辞世の句を残していた。
この三羽とは、自分自身と清水則遠、子規のことだった。
 大正7年米騒動があった年で、神戸の鈴木商店も焼き討ちにあった。売り上げで三井を抜いた鈴木商店も、昭和恐慌の時に対処できず倒産の憂き目にあった。
 カリスマの金子直吉「白鼠」も俳句をやった。絶好調の時、詠んだ句
  初夢や太閤秀吉那翁(ナポレオン)

内航海運新聞 2022/6/6