「トランパー」出版まであと96日(真之死す・秋山兄弟生誕地を訪れる)

大正7年、亀三郎の盟友・秋山真之海軍中将が他界した。憂国の士はまだ50歳の若さであった。
亀三郎の自書で(對潮閣の二階の病床で、その最後に至り、大声を発して我国の将来を語り「我死して我国をどうする」と言った言葉が今にも耳に響いている。丁度その時に、後に大将で男爵になって死んだ白川義則氏が、人事局長か何かで少将だったと思うが、隣室に控えて聞いていた。その白川君も既に亡くなったから、それを聞いたものはもう私一人だ。さうして、そのあとで又、眼を開いて「山下、何も頼むことはないが、子供のことをね」と言ったから「そんなことは安心しとれ」といったのが最後だった。今は、その形見の兄の方は山下汽船会社に、弟の方は浦賀船渠会社に働いている。)と、語っている。
ブロガーは今年5月GWに田舎に帰る折、松山市に在る秋山兄弟生誕地へ行った。
入場者は少なかったが、ゆっくりと昔をしのぶことが出来た。
真之と亀三郎は肝胆相照らす仲だった。遺言の通り亀三郎は子息たちを自社に入れ面倒を見たのだった。
真之の絶句…… 不生不滅明けて鴉の三羽かな
一句
真之のゆく先々に月見草

(秋山兄弟生誕地ビデオ)