西国の伊達騒動 5

吉田藩紙騒動(1)百姓一揆前夜

 さて、寛政四年に話しは戻る。

 鈴木作之進は居酒屋「宮長」で酒を呑みながら七年前の式部騒動を思い出していた。

 今度の騒ぎも百姓たちの不平不満が根柢にあるのではと、心に引っかかるものがあった。

  しかし、作之進がその気配を察知したのは、つい最近のことであった。

 十二月の始めだったか、

(山奥組の百姓が吉田藩に直訴する!)

という噂が聞えて来た。だがその方面の庄屋や同心に内々で尋ねてみたが、

(そのような事は聞いてもいない)

どうもガサネタのようである。

 十二月十九日早朝、作之進のもとへ文が届いた。

届けたのは山奥組の者だ、と言って

「差出人のことは聞かないでもらいたい」

と素早く立ち去った。

(朝早くこっそり文を届けるとは何事だ)

早速、文を開けると、どうも女の文字のようである。

(明日二十日の夜、山奥々より誘い出す)

と簡単な内容であるが、

(誘い出すとはどういうことだ、仲間を集めて一揆を起そうとしているのか?)

 女の文を手に、作之進は思いをめぐらしたが、

(女は山奥で何か起きる事を恐れ、これをやめさせようと文を寄こしたのだ)

と作之進は思った。

 文には山奥々と書いているが、それは土佐藩領に近い日向谷村、高野子村辺りの事だろう……。

 作之進は郡奉行へ急いだ。この内通を奉行に報告すると、奉行の小島源太夫は、作之進に、

「すぐ出立し、三間の庄屋衆に取鎮めるよう申してこい!」

と指図した。

 作之進は、庄屋衆に収められる様なことではないと内心思ったが、楮元の庄屋らが吉田に逗留中なので急ぎ帰らし、足軽の弥惣治、喜久右衛門を従え十九日夕七つ時分に出立した。

 同僚の中見・沢田義右衛門は、妻が出産で血忌(ちいみ)につき休んでいる。

(藩の危急時に勤めを休むとは何ごとだ)

と思ったが、自分も式部騒動のとき血忌で休んでいる。

 作之進ら一行は、夜中に山を越え三間村の中野中村へ着いた。

 すぐに足軽の弥惣治へ村の小頭一人を付け、山奥の小松村へ行くように申し付けた。ここから五里はあるので、夜通しの事になるが作之進は、

「村の様子次第では急ぎ知らせるように」

と弥惣治に言った。

 同夜、作之進は近辺の庄屋、内深田村の竹葉蔵之進、古藤田村の嘉平治、中野中村の丈左衛門に、火急の事なので明日の早朝に弁当を持って山奥組へ来る様にと使いを出した。

 すると近くに住む丈左衛門が番屋に来て、

「実は昼間、小松村で日向谷村の庄屋井谷庄治にバッタリ出会って、井谷が言うには(日向谷、下鍵山は確かに様子がおかしい、百姓どもを鎮めないとえらい事になる)と聞いたので、直ぐに知らせねばと支度していた所です」

と言った。

 山奥の日向谷村の庄屋が血相を変えて言うのだから、あの女の文は益々真実味を帯びてきた。

 翌二十日に新たな情報が入った。

 高野子村(現城川町高野子)の番人喜平太の話では、

(山奥組は、今夜にも月を合図に出立して、川筋より村々を誘い出すとの噂がある。用意した品を持って夜通しで忍び出すと申している)

とのこと。川筋というのは広見川沿いの事で、上流の山奥組から岩谷村、小松村、延川村、出目村など下流にかけて多くの村が点在している。

 更に日向谷村の番人源吉の話でも、

(川津南村にいる土佐者の話では、百姓どもが集まって何か密かにやろうとしている)と喜平太が持ち込んだ話と同様である。

 これらの情報で山奥組と呼ばれている所が中心となって、何か大きな企てを謀っていると作之進は確信した。

(しかし百姓どもを束ねているのは誰だろうか……)

 作之進は山奥組の情報を持って来た番人喜平太に、

「これより吉田表に参り、直ちに御奉行衆に知らせるのだ」

と命じた。

 それから蔵之進、嘉平治、丈左衛門の庄屋たちと広見川沿いに山を登り、小松村番所まで連れていった。

 ここまで来れば、日向谷村、高野子村の山奥組までは近い。

「いや、山道ご苦労であった、今から村へ行ってもらうが、先ずは百姓らを取り鎮めることが大事で、越訴は天下の御法度で恐れ多い事、しかも年越しに事を構えるのは心得違いも甚だしい。願い事があれば、正月十一日を過ぎて順当に申し出るのが筋で、わがままを言うと罪人が出る、と諭して頂きたい」

と作之進は言って、

(古藤田村嘉平治は小松村、延川村の両村へ、中野中村丈左衛門は川上村へ、内深田村竹葉蔵之進は、上大野村組頭宅へ行って詰めるよう)と、持ち場を指示した。

 また日向谷村、上鍵山村、下鍵山村は、地元の庄屋井谷庄治へ任すことにした。

 作之進はこれまでの情報から、山奥組の高野子村が一番あやしいと踏んでいた。ここに郡奉行配下の役人を連れて行く事にした。

(山奥組の衆も困ったものだ、言い分が有れば先ず我々に申せばいいものを……)

と明日は険しい山をさらに登ってゆくので、年配の庄屋がしんどそうに、愚痴をこぼした。

 

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(JR宇和島駅前の案内図 2018.3.22撮影)

=右の山間部が吉田藩領地⑤日吉夢産地が百姓一揆の発祥地=