「沈みつ浮きつ」若き人の為に(3)


 仰向けの唾
昭和15年12月9日)

 亀三郎翁は、天に唾する行為を戒めている。翁は、若き人に向ってあえて当たり前の話を老婆心で語っている。

 多くの兄弟がいる家庭で、兄弟の一人が自分の兄弟の欠点を隣の家族に話して、自分だけ好い子になろうと思っても逆に怪しからぬ男と、その人格を卑しむのみであろう。

 また会社、団体に於いても亦然りで、内部の秘密は決して他に洩らしてはならない。

 翁の独特な口述は続く…

「我々会社同人は丁度金魚をガラス鉢に入れたように、金魚の生立ち、その性質をよく諒解して居るから、自分が如何に塗抹し、如何に修飾しても、他はこれを承知するものではない。

 仮に私としても、大きな年を取った金魚をガラス鉢に入れて、その周囲から諸君が見て居られると同じ事で、親爺がこう云うたが、これはこんなつもりで云うたのだ、親爺はこういう人と交際をして居るが、これはこんな意味だというようなことを、先手々々として知って居られるに相違ない、また知らるベき筈と思う。之は一家族でも同様で嫁兄弟、両親の団体に於いてその嫁の性質、その姉妹の性質は親がこれをよく知っているものである。誰かが何か言って其時は悟らなくても、その数日後には、あの子が4、5日前に言ったことは、これをこう思わす為に言ったのだということが自然に分って来る。

 知らぬは亭主ばかりなりという諺があるが、私はこの諺を借りて、知らぬは自分ばかりなり、人は皆知って居るんだ――と、こういうことを言って置きたい」と語っている。

***

 亀三郎52歳頃、欧州戦争バブルで成金が謳歌していた時代、著名人として顔を出している。大正8年出版の『修養と逸話』神部飛雄太郎著に“山下亀三郎植木屋にぺケを食ふ”という題のエピソードが書かれている。この最後に、山下亀三郎氏唯一の標語(モットー)は「人間は算盤を以って始まり人格に終わる」とある。この逸話は、亀三郎が鼻をギュンギュン鳴らして居た頃で、正に算盤勘定に精を出していた。   

 上記の「仰向けの唾」は亀三郎75歳頃、晩年の口述で、まさに“人格に終わる”というモットーを示すもの。

 『修養と逸話』は当時の著名人について270の短いエピソードが書かれており実に面白い。国会図書館デジタルコレクションで「山下亀三郎」で検索すれば閲覧可能。

 一例を掲載すると、98 穂積博士学生に一本参る

――帝大法科に乱暴な学生が居て、何時も下駄ばきのままで教室に出入りする。鷹揚な大学教授のこととて別に咎める人もなかったが、独り厳格を以て聞えた穂積博士が或る時その不都合を詰責した。

所がその学生の言う所がおもしろい

『先生は教授であって、事務官でないから、ソンナことを咎める権利はありますまい』と、ドウしても動かない。流石の博士も遂に事務官に命じて、

『自今学生は下駄ばきにて教室に出入すべからず』と掲示せしめ、どうなり治まったそうな。――

 ( 穂積博士=穂積陳重宇和島市出身)

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   (宇和島市「穂積橋」ブロガー2015.5.5撮影)