亀三郎とサミュエル(シェル石油生みの親)

亀三郎は明治36年、イギリスを本拠とする貿易商のサミュエル商会から2300総トンの中古船を買った、船名を「喜佐方丸」とした
第2船目もサミュエル商会から購入し「第2喜佐方丸」と命名した
「英国サミュエル商会」の創設者マーカス・サミュエルは、11人兄弟の10番目で、20代の若い頃に一人でロンドンから横浜に渡った
彼も亀三郎同様にトランパー(放浪者)で各地を転々としたが、ある日、湘南の海岸で綺麗な貝殻を手に取り、ふと考えた
これをイギリスに送れば装飾品として商売になるのでは…
マーカス・サミュエルは、その後、日本で貿易商を興したが、一方で石油事業に参入し「ライジングサン石油」を設立、後のシェル石油で帆立貝を会社のロゴマークとし大発展した

このシェル石油に山下汽船から転職した男がいた
著書「トランパー」第2の主人公、浜田喜佐雄の先輩で山下汽船門司支店で一緒に働いた「永井雄介」である
永井は喜佐雄らと英語を学び、その語学力は飛びぬけていた、彼は山下汽船が大戦後不況の折、リストラの対象となったがその英語力を発揮しライジングサン石油(後のシェル石油)にリクルートしたのである
喜佐雄も昭和5年、山下汽船を飛び出し大同海運の創設に加わり、その後ジャパンラインの重鎮となった
この所謂「山下学校」卒業生は、その後、東京でも家族ぐるみの交流をしたという
永井は、太平洋戦争下、東京大空襲の後、山形に疎開し、戦後はその語学力を買われGHQの通訳となった

しかし亀三郎と永井家の縁はまだ後があった。
ブロガーの3年先輩で宇和島出身の石丸N氏は、亀三郎が創立した阪神築港、今の東洋建設のOBである
氏からブロガーの近所に住む東洋建設の大先輩、「永井和夫氏」を紹介してもらった
和夫氏は京都大学を卒業、東洋建設に入社、88歳になられても矍鑠とされている
昔話をしてもらったが、歴代トップは、山下汽船からの天下りが多く、その先輩諸氏から亀三郎の豪遊話を
よく聞かされたそうである、しかし経営陣はマリン土木の仕事をドンドン取ってきてくれて営業部は助かったそうだ
その後、氏から意外な話を聞いた(この本を読んだが、親父雄介が載っているので驚いた!)というのである
「トランパー」には亀三郎の豪遊について永井和夫氏の話を載せたが、父上のことは知らなかった、
しかし確かに、浜田喜佐雄が門司に転勤したときに上司に永井雄介、石原潔がいた、と書いている
氏からこの話を聞くまでは、この結びつきが解らなかったが、世間は本当に狭いものである
ブロガーは喜佐雄の縁故で会社に入ったと話したら(私の父が亡くなった時、浜田さんの奥様からお悔やみのお手紙を頂戴した)
と、懐かしく語って頂いた
今の東洋建設も震災復興などで仕事は数年先まで埋まっているそうで、亀三郎の遺した事業は後進につながれ大発展している
東洋建設の有志は亀三郎翁の偉功を偲び、毎年、宇和島市吉田町の山下記念公園に集まり、亀三郎翁銅像の清掃を行っている

亀三郎がシェルの創業者サミュエルから船を買い、亀三郎の部下がシェルに行き、その息子が亀三郎の事業へ参画するという
1世紀にわたるStoryは、「トランパー・山下亀三郎」の手掛けたVentureに源を発するのである
今も、亀三郎のDNAは後進に引き継がれこれからも脈々とつづく・・・

一句
明治の血引いては寄せる春の海